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真珠のきらめき 第5章 人と動物

(前章までのあらすじ ~ 石田は友人の紹介で、結婚相談所で入会の手続きをとる。相談所の紹介で初めての見合いをする。華やかなパーティーに出て、多くの女性会員と知り合う。パーティーとデートで相談所の活動を続け、相手の実際の人柄を知る。しかし活動を続けても、相手はなかなか見つからないと感じる。)

 石田は仕事で初めて、探鳥会に参加した。
 野鳥保護の団体や、野鳥の観察に興味のある人々が、大きな河川の岸辺に集まった。バードウォッチングと呼ぶらしかった。
 石田は篠田や自然保護員たちと一緒に、草木の生い茂った河川敷を歩き回った。図鑑を持ち、双眼鏡で遠くにいる野鳥を覗いた。野鳥の色や形、飛んでいる様子を、初めて観察した。野鳥の美しさ、躍動感に感動した。
 カワセミは、色鮮やかな姿をしていた。しかし、水中に飛び込み、魚を丸呑みにする姿は野生的だった。
 トビは、はるか上空を、地上の獲物を狙って、飛行機のように旋回した。
 ヨシキリは、高い声を上げて、ススキの間に巣を作っていた。知らない間に、カッコウに卵を産み付けられて、タクランされるという。卵から還ったカッコウのヒナは、ヨシキリのヒナを巣から蹴り落として、親鳥の運んでくるえさを独り占めする。落とされたヒナは他の動物のえさになるか、死んでしまう。人から見れば、残酷だ。動物は自然に従って生きている。
 カルガモは、仲間たちと水面を悠々と泳いでいる。都会の高層ビルの谷間では、カルガモの親子が歩く姿が珍重される。石田はテレビで放映されるのを、何度か見たことがある。地方の河川敷に来ると、カルガモなどは、珍しくもない野鳥の一種だと分かる。
 野鳥観察では、戸外の活動に備えて、それなりの服装をする。虫除けの心配、足下の注意などが必要になる。しかし、自然と触れあう、健康的な活動とも言える。暇さえあれば、金はあまりかけないで済む、優雅な趣味かも知れない。

 篠田が電話を取ると、それは、カラスが窓ガラスにぶつかってきて困っている、という住民からの通報だった。
「あれ、余ってたかな?」
 篠田は、倉庫の中から、カラスの黒い死骸を取りだしてきた。
「この時期って、交尾の時期を過ぎて、メスとうまく交尾できなかったオスがいるんですよ。頭がおかしくなって、凶暴になったりするんですよね。群れから、はぐれたりして……」
 篠田は、現場に向かう車の中で、苦笑しながら言った。
「はあ、人間の男と似ているかな?」
 石田も笑った。
 現場を見てみると、その家は新築だったが、周囲は田んぼに囲まれていた。
 玄関からエプロン姿の中年の女性が出てきた。
「娘の部屋が2階にあるんですよ。カラスが一羽、時々窓ガラスめがけて、気が狂ったように突進してくるですよ。どうしてなんだか分からないんですけど。娘も怖がって、どうしていいか、野生の鳥で体も大きいから…。空を飛び回っているし、困っちゃって」
 カラスはその時も近くに来ていて、電柱に止まっていた。石田たちは、目をくりくりさせ、時々口を開ける真っ黒な鳥を見上げた。
 篠田は持ってきた黒い物を、その女性に渡した。
「あのう、カラス退治の方法って、色々あるんですけど、これが、そのひとつなんです。これ、カラスの死骸です。ベランダにぶら下げておいてください。カラスは、自分もそういう目に遭わされるのかと思って、怖がって近寄ってこなくなるんですよ」
 女性は死骸を手に持って、目を丸くした。黒い物体をしげしげと見ながら尋ねた。
「こんな物、家の外にぶら下げておくんですか? ちょっと気持ち悪いですけど、効果はあるんですか?」
「もうミイラになってますから、汚くはないです。何度か使ってますけど、結構、見せしめってわけじゃないですけど、カラスがいやがるみたいですよ。とりあえずやってみて、ちょっと様子を見てください」
 2人は、とりあえず現場から引き揚げた。
「カラスの死骸って、いくつか取ってあるの?」
 石田が聞いた。
「ありますよ。年に何回か、こういう苦情ってありますから……」
「自分で解決する人もいるのかもしれないけど」
「そうですね。民間の業者に頼む人もいるようですけど。でも、電話もらうと、とりあえず何とかしなくちゃならないですよね?」
「そうね。何か、正式な仕事じゃない感じがするなあ、何か他の方法がないのかなあ」
「相手は飛び回っている生き物ですから、いい手がないんですよ。こんな手でも、とりあえずその場の問題は解決しますから」
「生活の知恵っていうか、仕事上の知恵って感じだね」
 その後、その女性から連絡はなかった。

 山林を眺めていると、緑の中に所々赤茶けた部分があることに、時々気づく。
 植物が自然に枯れて、そう見えることもある。しかし、害虫によって枯れることもあると、石田は事務所に来てから知った。
 松食い虫という害虫が発生すると、松の木の内部を食い荒らす。その被害は隣の木にも次から次へと飛び火する。付近一帯の松林がどんどん枯れて、緑の山は赤茶けた山に姿を変えてしまう。
 これを防ぐために、大がかりにヘリコプターを飛ばして、空中から殺虫剤を散布する。
 この松食い虫防除の作業に、石田も初めてついた。

 作業の前日に、職員たちは、ヘリの会社の社員とともに、地元の旅館に泊まり込んだ。
 当日は夜明け前に起床する。空中散布は、人が寝静まっている最中に行う。人体や住民生活に対する薬剤の悪影響を避けるためだ。
 石田は、特別な資格や技術はない。ヘリの作業の立ち会い、連絡や雑用を受け持つ。
 ヘリは、薬剤と燃料を積み込むと、大きな音を立てて離陸する。プロペラの風圧で、草木が地面を這うように、放射状になびく。飛び去ったヘリはすぐに、上空で小さくなって、見えなくなってしまう。
 時間が経つと、それまで何も見えなかった空に、へりが再び姿を現す。仮設のヘリポートに戻ってくる。ヘリポートと言っても、特別な施設が作られている訳ではない。山間の空き地を関係者がそう呼んでいるだけだ。待ち構えていた作業員が腰をかがめて、一斉に走り出す。薬剤と燃料を補給するためだ。
 石田は、ヘリを近くで見るのは初めてだ。
技術系の責任者が、石田に言った。
「確認飛行しますから、同乗してください」
 ヘリに乗るとは、事前に聞かされていない。どんな準備が必要なのか。安全なのか。墜落なんてことはあるのか。危険なのか。乗るべきなのか。乗らない方がいいのか。
 確認飛行とは、空中散布の作業を依頼した側が、確実にその作業が行われたか確認する飛行らしい。石田は依頼した側の一員だから、確認に参加するのはおかしくない。
 石田は好奇心半分、心配半分の気持ちで、体をかがめながら、ざわつく風の中をヘリに乗り込んだ。
 ヘリがプロペラを回すと、周囲の草木が強い風で、音を立ててざわめき、なびく。ヘリは思ったより軽やかに舞い上がり、見る見る空中を進んだ。搭乗席は、透明な覆いを被っていて、外側が丸見えだった。
 石田の足の下を、松の木に覆われた山林が次々と様相を変えて、通過していった。すこし怖い。大地が今は、自分のはるか下にある。
 改めて気づく。自分はいつも地球の表面にへばりついて、歩き回っている。今は自分の日常生活を、高みから見下ろして見回している。奇妙な、しかし爽快な気分だ。
 10分くらい飛んで、ヘリは着陸した。石田は、また地上を自分の足で歩いて、安心した。しかし、遊覧飛行のようで、少し得をした気になった。

 石田はその日、父に頼まれて、自宅の農作業を手伝った。稲刈りに脱穀と、この時期は忙しかった。父は昔、専業で農業を営んでいた。石田が生まれた頃、建設工事店も兼業で始めた。
 土の匂い。泥のぬかるみ。実ったイネ。田んぼの風景。虫や鳥。稲わらの匂い。立ち上るほこり。時々自転車で通り過ぎる農家の人。
 石田は普段は、事務系の役所仕事をしている。たまに自然相手の農作業に身をさらしてみると、奇異の念とともに、すがすがしさを覚えた。

 石田は、大学の同窓会に参加するため東京に出かけた。卒業してから五年が経っていた。
 再会した男の友人の寺田は言った。
「3年前に昭子さんと会ったんだよ。大阪のマンションでひとり暮らししててさあ。奈良で会ったんだよ」
 昭子は卒業後、父親の転勤のせいで東京から関西に居を移していた。
 石田は、昭子の名前を聞いて動揺した。寺田が自分にどうして昭子の話をするのか分らなかった。あるいは、ずっと以前に、昭子に対する好意を寺田と互いに確かめ合ったことがあったかもしれないと思いなおした。器量が良かったせいか、男子学生の中には、昭子に関心を抱く者が少なくなかった。
「昭子さん、アベックの多い公園に時々行くって言ってたよ。池のほとりで、代わり番こにとった写真があるから、あとで送るよ」
 そう言ったが、その後、写真は送られてこなかった。
 ホテルの同窓会が終わった後、石田は寺田と駅のそばのレストランに入った。
 石田が関心があるのは、昭子の男性関係についてだった。
「籍は入れていなくても、男はいる気配だったなあ」
 石田は、寺田に打ち明けた。
「おれ、プロポーズしたんだよ」
 寺田は驚いていた。
「あの頃、コンパで年上の男に振られたと言って、泣きついてこられてことがあってね、気持ちが揺さ振られたんだ。まあ、それで、その後は振られて、それから諦めるのに2,3年かかったよ」
 1度交際を申し込んだが、色よい返事はもらえなかった。しかし、その時は、交際相手はいないようだった。
 卒業式の後の卒業祝賀会が、昭子の姿を見た最後の時だった。下宿に戻ってから、昭子の自宅に電話を入れた。別れるのは辛い、と石田は涙を流した。
 寺田と別れた晩、石田の心は大学時代に戻った。
 ビジネスホテルの夜の時間に、心が動揺して耐えられなかった。頭の中に、今までの思いがどっと押し寄せた。
昭子は石田の学生時代の恋心にとって、大きな存在だった。眠れなかった。自分は、あの別れた日のままの心を引きづっていると改めて感じた。

 翌日、ホテルを出て繁華街をぶらぶら歩いて、1軒の喫茶店に入った。
 回想の中に、昭子の姿が現れた。向かいの席にすわる昭子を見ながら、悲しい会話を交わし、涙が出てきた。五年前の自分に戻った。苦しみ、悩み、悲しみが何度も去来した。しばらく忘れていたのに、また思い出してしまった。
 商店街を歩き、出店を眺め通行人を見ていたら、思わずまた涙が出た。
 この数年、あちらこちらの女性に気持ちを惹かれることはあった。しかし、5年経っても、おれの恋心は何も変わっていない。昭子は、心から恋した女性だった。それなのに多分、昭子は今、おれを忘れているだろう。それが辛い。

 石田が旅行から戻って、しばらく経った。
「石田さんよう。そんなの、おめえ、あるもんじゃねえ。おらあ、やんねえかんなあ」
事務所の中で運転手の佐藤は、急にある時、石田に食ってかかった。すぐ近くにすわっている席から、じろりとにらんで大きな声でどなった。
 佐藤から、おめえ呼ばわりされたのは初めてだ。
 それは職場のレクリエーションに関することだった。あることを石田が決め、決める資格があった。というより、望んでもいないのに、その資格を与えられていた。
 佐藤は、その取り決めを石田がしたと若い職員から聞き知った。
 組織の上下関係では、普段は意識していないが、石田の方が佐藤より高い地位にある。佐藤は、石田が自分の地位を利用して自分勝手な行動をとったと判断したようだ。それに腹を立てた。
 しかも、実のところ佐藤が問題にしている事柄は、石田にとっては、あまり重要ではなかった。
 それでも、顔見知りの仕事仲間に真っ向から文句をつける人には、石田は今までのところ出会っていない。扱いに困った。
 それで思い出した。あのバイト嬢と同じだ。相手に真意を確かめずに、文句を言う。他人様に対して口の利き方を知らない。野蛮人か。
 山間部に住む人間の粗野な一面なのか、品性を欠き、自分の不満を直接表現して、相手に浴びせる。
 他人から聞いた話で、相手を判断して、腹を立てて怒りをぶつける。
 バイト嬢も佐藤も恐らく、以前から石田を気に入らないと感じていたのだろう。組織の中にいれば、石田にも気に入らない人間はいる。しかし、関係を悪化させては、後々面倒になるから、いつもは感情を抑えている。組織の中で他人とうまくやって行くには、忍耐も必要だ。
 佐藤やバイト嬢の身分は、他の職員とは少し違う。その点で気兼ねすることなく、仲間に文句が言えるようだ。

 石田は、どうしていいか分からず、とりあえず席を立った。佐藤は、メガネをずらしてかけて、いつもの通り文庫本を読んでいる。この男のそばにいたくないと思った。怖いと思った。同時に不愉快に感じた。そばにいるのは辛かった。
 相手は自分にけんかを売っている。親のような年上の、理屈の通じない古老の男に見える。石田は、売られたけんかは買わないようにしている。その後、いいことがないからだ。もちろん、自分からけんかを売ることはない。
 要するに、他人とけんかはしない。時間も労力も無駄になる。時間は、もっと楽しいことに使った方がいい。
 石田は、うんざりして思った。この件は、それほど自分に非があるようには思えない。佐藤は、わがままを言えば、相手が構ってくれると思っているのかもしれない。他の人なら、下手に出て佐藤のご機嫌伺いでもするのかもしれない。そういう態度は、若手の職員の何人かに時々見られた。
 しかし、悪いが、おれはそれほど暇ではない。下手に出る必要はない。元より佐藤たちを見下してはいない。自分の言い分を聞いて欲しいなら、他の人に面倒を見てもらったらいい。
 佐藤の人柄については、ずっと後で知り合った職員から、やはり批判的な意見を聞いた。けんか腰になることが多くて、周囲の人から毛嫌いされていたらしい。上司には、いい顔をしているようだった。
 その噂を聞いて、石田は納得した。やはりあのときの不快感は、自分の思い上がりのせいではない。佐藤という人物に、元々の原因があったのだ。いわゆる質の悪い人間だった。いつか個人的に聞いた若いころの女性に対する悪質な行為を思い出した

 ある日、石田が、所用があって外回りに出て、戻ってみると、黒い物がたくさん庁舎の敷地に並べられていた。
 狩猟団体から、カラスを駆除したから持っていくと連絡が入ったらしい。篠田が、運ばれたカラスの死骸を、地面に並べてもらった。その数を数えて、記録につけた。捕獲できる数は制限されている。
「こらあ、すごいね」
 石田が言うと、篠田は冗談を言った。
「あんまり見たことないでしょ。甲羅干しです」
 それから、団体の関係者に言った。
「ちょっとすみませんが、処分する前に、いくつか置いていってもらえますか? 役に立つんで……」
 篠田はいくつか取り上げて、倉庫の中に持っていった。石田は、こうしてカラス除けの道具を保管しておくのかと納得した。住民からカラス被害の通報が来たときに備える。
 その時ちょうど、数羽のカラスが鳴きながら、上空を通り過ぎた。石田は、それを見上げた。
 きっと、一面に広がった同族の死骸の光景を、上空から見下ろしているのだろう。
「つらいのかな? それとも恨めしいのかな?」
 石田が言うと、篠田は苦笑いした。
「いい見せしめになりますよ」

「今日の新聞見ました?」
 篠田が職場で、隣にすわる石田に聞いた。
「えっ、何?」
「この間の宴会の市会議員、いましたよね? 警察に選挙違反で逮捕されたんですって……」
 石田は、スナックの薄暗い空気の中で座っていた男の顔を思い出した。髪の毛が薄く、黒縁のメガネをかけ、年配で、よくしゃべり、にこにこしていた。
「逮捕されたって、あの署長のいる警察だよね?」
「そう」
 篠田も石田も、わっと笑った。
 石田は、近くに座っていた立派な体格の署長の顔も覚えている。カラオケと酒で、和気あいあいとしたその場の雰囲気だった
「昨日の友は、今日の敵か……」
 石田は苦笑しながら呟いた。
「容赦ないというか、でも、法律上は別におかしなところはないですよね?」
 篠田は、納得したように頷いていた。

 テニスの合宿の仲間から、また石田のところに誘いの連絡が来た。今度の旅行先は山奥の温泉だった。
 仲間たちを乗せた乗用車は、町から遠く離れた場所を走っていた。山林の風景が周囲に続く。家の数、建物の数がずっと減ってくる。先に進むのに1本しか道がない。途中に、ガードレールがあっても、道路からはみ出せば谷底に転落しかねない場所もある。崖崩れが起これば、多分山林と町の交通は遮断される。
 車の中で、先輩のひとりが沿道に建つ1軒の寿司屋を指さした。
「あれだよ。ミス○○村の家だよ」
 その家の娘は、温泉街のミスコンテストでミスに選ばれたのだ、という。
「こんな山の中の娘じゃあ、大したことないだろうって思うでしょう。それが、もの凄く、きれいなんだよ」
 石田は、気が向いて言った。
「はあ、できれば見てみたいもんですね」
「ここも、全国のあちこちにあるらしいけど、平家の落人伝説の残る場所だからね。もしかしたら、美女を生み出す血筋が受け継がれてきているのかもしれないなあ」

 一行は山奥の旅館で、囲炉裏を囲んで山の珍味を堪能した。
 サンショウウオは、精力をつくから食べろと物知りの仲間がはやし立てた。石田は、顔をしかめながら体長10センチくらいのトカゲのような生き物を、姿焼きで一匹食べた。
 ツグミの肉は、ミンチにしてヘラに擦りつけたものだった。
 クマの肉は、口に入れたら内臓の中がおかしくならないかと思った。それが、アク抜きをしてから食べると、少し硬いが、鶏肉のような味がして、のどを通らないことはなかった。
 シカの肉は、野性味はあっても、クマより穏やかな味わいがあった。生きている時の姿を思い浮かべて食べたせいかもしれない。
 翌日は、同行した仲間の知り合いが来て、キノコ取りに行こうと誘った。石田は、山間部に住んでいる人たちの習慣なのかと感じながら、一緒に山を登った。どれが毒キノコなのか教えてもらった。慣れないせいか、あまり採れなかった。



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