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真珠のきらめき 第10章(最終章)  去り行く恋心

(前章までのあらすじ ~ パーティーで出会った好みの女性はデートの約束をするが、寸前に断ってきて、石田は落胆する。思い切って昭子に5年ぶりに手紙を出す。返事をもらい喜びを感じるが、それ以上の行動には出ない。運転手の佐藤は実父を失って落胆し、気弱な一面を石田たちに見せる。石田は研修先の温泉地で、年下の女性2人とカラオケを楽しむ。再会した春子は、女の戦いで意中の男を手中に収めたと告白する。石田は小田の息子の縁談は流れたらしいと知る。久しぶりに元上司の遠藤とすれ違うが、半身不随で目はうつろに見える。石田は人事異動で自然保護事務所を去ることになる。意中の女性とその後のパーティーで再会するが、相手の魅力も自分の思い入れももう衰えていると感じる。)

 翌年の正月、石田は心の中のわだかまりに何かの動きを与えたくて、昭子に年賀状を出した。
 何かを期待しているが、期待が裏切られてもいい。諦めのつかないことを、諦められるような決定的な事実が知りたい。今さら馬鹿なことを、と思うが、どうせ一度切りの人生なら、この程度の馬鹿なことなら、他人に迷惑をかけることもないだろう。
 すると、悶々とする日々の後、昭子から年賀の返事に届いた。感無量だった。表面的なあいさつが数行並んでいた。他の人からの年賀状と、特に変わったところはなかった。また会えると良いと、世辞のようだったが、書いてあった。
 石田は晴れ晴れした気持ちになった。あの頃の恨み、辛み、わだかまり、すれ違い、失恋の体験が氷解するような気がした。
 恋心が好転しているわけではない。先方の恋愛事情は窺い知れない。しかし、あの頃のまま、彼女は元気でいるらしいと感じた。
 石田は無駄でもいいと思って、追いかけるように手紙を書いた。もう期待していないと告げた。迷惑かもしれないと感じたが、別れた後の心の有り様を綴った。長い告白の手紙になった。
 そのうち、職場では、知り合いから縁談が一件来た。石田は、世間と自分の意識が大きくずれていると感じた。昭子のことで心は一杯で、それどころではなかった。その件は心を惹かれる相手でもなく、すぐに断った。
 すると、別の人から、また縁談が来た。これも断った。好きな人との縁は深められず、一方で世間は好きでない人との縁を深めろと言ってくるように感じられる。人生は、うまく行かないと感じた。
 
 事務所では、野鳥を放す仕事があった。山野の野鳥の生息数を増やしたり減らしたり、人の手で調整する。キジ、ヤマドリ、コジュケイが主な種類だ。
 公用車で、野鳥を放鳥場所に運ぶ。野鳥の入った段ボール箱を地面に置く。ふたを開けると、野鳥はごそごそと音を立てて、狭い空間から外に出ようとする。顔を出したかと思うと、驚いたように羽を動かす。
野鳥は、山野に向けて飛び立っていく。と同時に糞尿を放ち、見送る石田は顔をしかめる。
 それでも、緑の山野のすがすがしい風景と、野鳥が一直線に飛んでいく姿は、幾何学的な模様を作った。石田は、動物と植物の共存する自然の素晴らしさを感じた。
 
 佐藤の家で不幸があった。高齢の父親が亡くなった。
 その通夜に、石田は職場の仲間とともに、佐藤宅を訪ねた。市街地から山あいの地域に向かって、1本の川が流れていた。川沿いの道路の脇に、佐藤は住んでいた。小さくて、狭くて、暗い、言うなれば、みすぼらしい感のある1軒家だった。
 普段は時々、悪態をつくこともある佐藤だったが、その時は神妙に一同を出迎えた。座敷の奥にちょこんと座り、俯き加減で静かに弔問客を迎えた。
 石田は、その表情に、佐藤に対するそれまでのわだかまりや不快感を忘れた。
 数日経って、佐藤は職場に顔を出した。上司に、その後の経緯などを話すのが、石田に聞こえた。
「告別式で、喪主のあいさつを読んでたら、何だか、色んな思い出がこみ上げてきて……、それまで気が張ってたのに、涙がぽろぽろ出てきて、言葉が詰まって、原稿がうまく読めなくなっちまって…。女房の奴は、親父の遺体を置いていた座敷が、気持ち悪いなんて言うし、まったく……」
 苦笑いしながら、告白していた。
 
 ある時、地元の有名な温泉地のホテルで事務職員の研修会があった。
 出納事務所の顔の良い女性、保健所の姿の良い女性と、石田は知り合って話をした。両方とも20才前後で可愛らしかった。
 石田は、特に保健所の女性の方に興味があった。当時人気のあったアイドル歌手の女性に似ていた。瞳が大きくて、ミニスカートの似合う体型だった。スカートの裾から出た脚に目を奪われた。
 一方、出納事務所の女性は、小柄だったが、目鼻立ちがはっきりしていた。
 研修の後は、宴会場で懇親会が行われた。その後、若い職員だけで夜の温泉街に繰り出し、2次会を開いた。スナックを一軒見つけた。広いホールだったが、ほとんど貸し切り状態だった。
 酔っ払ってカラオケを楽しんでいるうちに、石田は小さなステージで、左右から若い二人の女性に挟まれて歌うことになった。30歳に近い石田には、二〇歳前後の女性たちは親しみやすく扱いやすかった。
 興が乗って、石田は二人の女性の肩を抱き寄せた。スタンドマイクに向かって、顔を寄せながら歌って、気分が良くなった。
 特にミニスカートの女性の姿は、その後何年も、折に触れて脳裏に蘇った。
 
 石田は、仕事で出かけた先で、かつてのバイト嬢の春子に再会した。テニスコートで、白いスコートをめくって見せてくれた女性だった。
 駅の階段を降りながら、会話はすぐに近況に移った。
「結婚したんですよ」
「ああ、そうなの?」
 石田は、春子が結婚を急いでいる女性だったことを思い出した。石田が春子と同じ職場を去った後、春子が若い男性職員に熱を上げているといううわさを、誰からともなく聞いていた。相手は、やせ形の、見ようによっては美男子だった。
「あの人、付き合っている女がいたんです」
「ああ、持てそうな雰囲気だったよね」
「あたし、その女と争って、奪い取ったんですよ」
 突然、個人的な体験を告白した。
「へえ、女の闘い?」
 驚いた石田は聞き返した。
「自分にあんな力があるとは思わなかったです」
 感情を吐露した春子は溜息をついた。
「大変だったんだね」
 
 バイト嬢の春子と会った同じ日に、同期の男性職員とも再会した。気が向いて、小田の相談してきた女性増田のうわさを尋ねてみた。その後の動向が少しわかった。
 増田嬢は、この辺じゃあ結婚相手が見つからない、と言って、賑やかで、大きな地方都市に引っ越していった。農家も多い、出身地の小さな町に不満を覚えていたらしい。
その点では、東京に嫁入りしたあのバイト嬢と似た、当世風の地方の若者の行動を取っていると見えた。
 どうやら、小田の息子は失恋したようだ。
 その女性は同期の男性職員と結婚したらしかった。石田はその名前を聞いて、男の面影を思い出した。どちらかと言えば風采の上がる、背の高い、都会的に見える、悪い見方をすれば少ししゃれた、気取りのある男だった。気位が高そうに見え、確か大学院を出ていた。
 小田の長男は、それに比べると、良く言えば温厚そうだった。悪く言えば純朴で、風采が上がらない外見だった。父親に似て、ずんぐりした体型で、口数が少なく、洗練された印象はなかった。
 小田が縁談を相談に来た当時、増田嬢は最初から、小田の息子のことは相手にしていなかったのかもしれない、と石田は思った。
 
 ある日、仕事先で珍しい人に再会した。あの救急車で運ばれて命拾いした、かつての上司の遠藤だった。
 遠藤の方では、人が行き交う通路で、すれ違った石田に気がつかなかったようだった。あのとき意識のなかった遠藤が、救急車の中ですぐそばに付き添っていた石田のことを、思い出せなくても仕方がないと思った。
 遠藤は妻に付き添われて、杖をついて片脚を引きずりながら歩いていた。心なしか、視線がうつろに見えた。
 石田は、かつての遠藤の笑顔を思い出した。後遺症が残り、脳の働きに色んな障害があるのかもしれない。
 
 昼休みに、石田は駐車場に停めてある自家用車のところに戻った。この頃は、昼休みに車の中で座席にもたれかかり、10分か20分仮眠をとることが多かった。寛ぎのひとときだった。
 フロントガラスを通して、大空が見える。
 ふと気になっているめぐみ嬢のことを思い描く。めぐみ嬢は、容姿が整っていて、にこやかだった。交際を申し込んだが、返事はまだ来ていない。
 空をよく見ると、黒い物体が浮いている。大きな空間に、ぽっかりと浮いている。それは、どうやら人らしい。
 よく見ると、他にも2人3人、ほぼ等間隔で並んでいる。送電線に取り付けられた椅子の上に座っているようだ。高い鉄塔が、長い間隔をおいて連なっている。その間に、電力会社の作業員が、誰かがそこに置いたかのように浮いている。
 保守点検というものだろうか。手先で何かしている。あんな高いところで風に揺すられながら、黙々と作業を続ける。辛いだろうな、怖いだろうな、大したものだと思う。
 思いはまた、めぐみ嬢のことに戻る。デートを重ねる心楽しい日々を想像する。
 そんなところに、ラジオから、失恋を歌い上げた、叙情的な歌謡曲を聞こえてきた。そのせいで今度は、やがて来るかもしれない辛い別れを想像する。
 一命を取り留めた上司の遠藤やその家族、中空に浮いて手先を動かす作業員、昼寝しながら意中の女性を思う自分。
 この大空の下で、人々は今も昔も、生活の中の様々な出来事で泣き笑いしているんだなあと思う。
 
 返事は遅かったが、幸いめぐみ嬢からも交際の希望が来た。クリスマスを過ぎ、師走、正月を過ぎ、パーティーのときから1ヶ月経っていた。早速、石田は電話してデートの約束をした。
 しかし、約束の日の前に、めぐみ嬢は風邪を引いて行けなくなったと電話で告げてきた。そのすぐあと、めぐみ嬢からの断り状が届いた。電話では、断る気持ちについては一言も触れていなかった。
 石田は思った。断りの手続きにはそれなりの日数がかかる。恐らく断り状を出してから、電話で連絡してきたのだろう。
 石田は訳が分からなくて、毎日悩んだ。それで、こちらから電話してみることにした。
 数回電話して、ある日の深夜、やっとめぐみ嬢と言葉を交わすことができた。彼女は、うそをついてデートを避けたことを謝った。
 石田が東京から離れた土地に住んでいると知り、ためらったらしかった。話しているうちに、めぐみ嬢の気持ちの動きが察せられた。一時的な心の高揚で交際の承諾の返事を出した。しかし、後になって冷静になって、交際はできないと決めたようだった。
 石田は、いつになく食い下がった。
「ぼくは、かなり気に入ってたから、一度くらい会ってくれるのかと思って。本当に残念でした」
「申し訳ありません」
「もう会ってくれないでしょう?」
「だって、それじゃあ、失礼だし」
 めぐみ嬢は気弱な性格なのか、つぶやくように言った。
「デートしてみて、そちらが失望して断ってくることもあるでしょう?」
 石田は、そのことを否定しなかったが、複雑な心境だった。
 結局、二人の仲について石田が思い入れているほどには、めぐみ嬢は考えていなかったことが納得された。石田はめぐみ嬢との別れに気持ちが高揚して、思い切って言った。
「お嫁に来てくれたら、よかったのにね」
 めぐみ嬢は、しばらく沈黙していた。驚いているように感じられた。
 石田は電話を切ってから、ひどくがっかりした。その後、しばらくの間、めぐみ嬢のことが忘れられなかった。
 
 めぐみ嬢と出会った同じパーティーに、背は低いが、かわいい顔をした女性がいた。東京在住の彼女は、石田の住んでいるところが母親の出身地であることを知った。パーティーのスタッフが扮したサンタクロースと、男女一組でジャンケンするゲームがあった。彼女は結構強くて、石田は、めぐみ嬢に続いて、また女性と一緒に賞品をもらうことができた。彼女は、話している最中に自分からトイレに行きたいと言って席を外し、気取りのない一面を見せた。
 あとで彼女を希望したが、彼女の方でも同時に希望していたことが分かった。
 彼女の父親は、下町で家具の会社を経営していた。何十人か従業員がいるらしく、生活に困っていない雰囲気を持っていた。父親の仕事をときどき手伝っていた。
 一度連絡を取り合い、都心の繁華街でデートした。よく知られたショールームで、彼女の会社が展示会を開いていた。
 このデートのあと日を置かず、ふたりは偶然パーティーで再会し、苦笑いしながら、あいさつし合った。石田には、自分たちはふたりとも互いに満足していないことが分かった。
 そのあと、彼女の方から断ってきた。石田は、この結末を導き出したかも知れない、彼女と交わしたひとつの問答を思い出した。
「石田さんは、子どもは好きですか?」
 彼女は純真な性格で、家庭的に見えた。
「好きでも、嫌いでもないです」
 石田は自分の返答が無愛想で、誠意に欠けていたと、そう言ったあとで思った。
 
 3月の下旬、高級ホテルで行われたパーティーに、石田はまた出席した。
 最初の女性は、石田と同じ大学の出身で、中央官庁に勤めていた。二番目の女性は、背が低くて、目が大きくて、映画会社に勤めていた。自己紹介のカードを渡すのに、手がふるえている女性もいた。初めてのパーティーに出席して緊張しているらしかった。相手は気づいていないが、経歴書と写真の紹介で一度見たことのある女性に会った。福島の出身で、コンピューターの会社に勤めている女性は、残業で夜が遅くなることがよくあると話していた。
 きれいだが、神経質で冷たい感じの女性がいた。容姿に魅力があっても、態度に魅力がないと、自分は好きになれないと、石田には分かった。
 めぐみ嬢のことが、自分はまだ忘れられないのかも知れないと石田は思った。
 知り合いの男性に会い、近頃心に引っかかっていることの一つとしてめぐみ嬢のことを話した。
「気に入っていた女性がいたんですけど、会うって約束をしておいて、急に断ってきたんですよ」
「それは失礼な女性ですね」
その男性は言った。
 石田は、めぐみ嬢の対応を年頃の女性にありがちなものと、寛容な心で考えていた。しかし、男性のような毅然とした見方もあるかもしれないと思いなおした。
 
 4月の下旬、前の月と同じ高級ホテルで行われたパーティーに、石田は出席した。
 クリスマス・パーティーのときのような華やかさがあった。パーティーに出ると、同じ境遇の者たちの姿を見ることができ、結婚相手をさがす、孤独な活動の苦労がいやされた。
 最初の女性は、神奈川に住んでいて、珍しく和服を着ていて、会場で目立った。
 どこかで見た覚えのある女性がいた。声をかけて、確かめてみると、なんと、あのめぐみ嬢だった。最後の電話のときに、またパーティーで会うこともあるかも知れないと言い合い、4ヶ月後に再会したことになる。
 髪型は、短く変わっていた。以前の、赤い派手なミニのドレスとは装いが変わり、白い清楚な花柄のフォーマルドレスだった。化粧していないらしく、よく見ると内気そうで、素朴な顔立ちだった。笑ったときの小じわも気になった。他の女性に比べ、見栄えは少しいいが、中身に乏しい女性に思えた。
 石田は、実物のめぐみ嬢に会わないでいるうちに、自分の中に作り上げためぐみ嬢の偶像を、思い詰めていたことが納得された。思い詰めて断られて、ひとりで失望の底に沈んで過ごしていた暗い日々が、無意味に思えた。
 その女性がめぐみ嬢に違いないことだけ確かめて、余計な会話はせず、石田はその場を去った。もはや話しても無駄だという思いがあった。
 しかし、やはりめぐみ嬢は、会場の中では魅力的な女性のひとりで、その日のパーティーの企画でベストドレッサーに選ばれた。司会者からインタビューされて、自分は引っ込み思案だから、なかなか相手が決まらないという意味のことを言った。
 パーティーの企画で、容姿の整った女性がモデルに選ばれ、ファッションショーが行われた。石田は、その中のひとりと少し長めの時間をとって話し、いい気分だった。その女性は、とりあえず希望し、あとで断られたが、失望もしなかった。一方で先方からの希望は2件あったが、両方とも断った。
 
 パーティーが終わり、これまで何度か往来している、ホテルから大きな駅までの通路を、いくつもの高層ビルを見上げながらたどった。前にも後ろにも、何人もの通行人が歩いていた。石田は急がず休まず、一定の早さで歩きながらビル風に吹かれて、さわやかな気分に浸った。
 こうして都心のホテルのパーティー会場に、せっせと通っている自分の姿を、何年かあとで、懐かしく思い出すこともあるかも知れないと想像した。
 思い入れためぐみ嬢の存在は、パーティーの間じゅう特に気にならなかった。もはや未練はなく、めぐみ嬢に対する思いの呪縛から自分は解き放たれている気がした。断られたことより気持ちを傾けてしまった自分を情けなく感じた。
 石田は、ふと一命を取り留めた遠藤の幸運を思い出した。それにくらべて、健康で結婚相手を探しているめぐみ嬢や自分たちは幸運だと感じた。
 
(完)
 

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