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【受験生向け】勉強を定義するー合格に必要な能力を高めるためにー

合格するには勉強するしかない。

このことは受験生であれば誰しもが分かっていることだ。

ただし、「勉強」とは何かを深掘りし、合格に向けた戦略を立てている人はあまり多くない。

では、改めて「勉強」とは何か。

『新明解国語辞典 第7版』の次の定義が言い得て妙である。

「物事についての知識や見識を深めたり特定の資格を取得したりするために、今まで持っていなかった、学力・能力や技術を身につけること。」

ゴールは試験に合格すること。

そのために必要な能力と技術を身につけることが「勉強」だ。

資格試験用にシンプルに定義し直すとすると、

「試験に合格するために必要な能力を高めること」

になる。

必要な能力は、試験の類型によっても異なるが、各資格試験に共通する能力は、例えば、次のようになるだろう(人によって色々な区分の仕方があると思うので、ここでの区分は参考程度に。重要なのは、当該試験に合格するために必要な能力は何か・自分に足りないものは何かを常に意識して、鍛えぬくことだ。)。

・問題文を読み解く能力(読解力)
・問題文から検討すべき項目を適切に設定する能力(問題提起力)
・自ら設定した項目について解答を導く能力(解答力)
・導いた解答を採点者に読みやすいように表現する能力(表現力)
・上記の能力の基礎をなし、また、試験時間に集中し続けるための身体的・精神的な体力(知的体力)

試験によって、上記の能力のうち、求められる比重は異なる。

例えば、マーク式・短答式試験は、問題の設定の仕方からして、問題提起力や表現力はあまり問われていない。

制限時間内に問題を解き切る知的体力を前提として、与えられた情報を適切に読み解き(読解力)、解答を導く(解答力)ことが求められる。

一方で、論文式試験においては、読解力から表現力に至る総合的な能力が問われることが多い(設問によっては、問題提起力は問われないこともある。)。

以上を前提にここでは、「勉強」とは、読解力・問題提起力・解答力・表現力・知的体力を直接的又は間接的に高めるための全ての行為としよう。

この定義から明らかなとおり、机に向かうことだけが勉強ではないし、逆に、机に向かうことがそれすなわち勉強ではない。

受験仲間との雑談は、勉強にもなれば、文字通り「雑談」になることもある。

受験仲間は生涯の友になり得る存在であり、仲を深めることはとても大切なことだと思う。
ただ、机に勉強道具を置き、廊下で文字通りの「雑談」をしている時間は、例え、予備校・図書館にいたとしても、勉強ではない。

物理的に机に向かっていたとしても、スマートフォンをそばに置き、定期的にネットサーフィンをしている場合には、勉強の成果(能力の向上)は限定的だろう。
ネットサーフィンが罪かというとそういうわけでもない。受験に有意義な情報を発信している人は沢山いて、意識的な情報収集は、勉強になり得る。

重要なことは、勉強している時間と、勉強している風の時間を明確に区別することだ。
「勉強しているはずなのに、成績が伸びない」という人は、勉強している風の時間が長いということが往々にしてある。
一見勉強しているようで、「作業」をしているだけというケースもある。「作業」は勉強の前段階であって、勉強ではない。

SNSでバズる勉強法や映える勉強法は、見栄えがいいだけで、「作業」としての色彩が強い場合がある。自分にとって勉強になっているのかどうか、きちんと確認する必要がある。これは勿論、そういった勉強法を否定する趣旨ではない。自分に必要な能力を高めてくれるのであれば、大いに活用すべきだと思う。重要なのは、見栄えで判断するのではなく、自分に必要な能力を高める方法なのか?という意識を持つことだ。

勉強をしていると思っている時間を見つめ直して、本当に勉強をしているか、試験合格に必要な能力を高める行為をしているかを確認して欲しい。

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