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ジェイン・オースティンの読書会〜推しを語る女神たち

 この映画の公開当時はアメリカで読書会ブームなるものが起きていたそうである。

 近頃日本でもわりとメジャーになってきた読書会。

 しかし市民権はまだ得ていないような気がする。

 読書好きな人たち、もしくは好きな作家についてオタク的に喋りたい人達が集まる会のように見られ、敷居が高いと感じる人も多いのではないでしょうか。

 「本について語るって、いったい何話せばいいの?」って。

 私が若いころ映画について何か語りたいと思う時、そういう集まりには非常に個性的な人や革新的な人、または嫌われる勇気があるクセのある人が多かった。

 知識をひけらかす人、映画通を気取る人もいた。実際、映画事情にとても詳しい人たちでありました。

 私は仲間に加わって、なにがしか自分の意見を言いたいと思っても、その偏ったキョーレツな人間臭さに恐れをなして、すごすごと退散するしかなかったなぁ…。

 すみません、やっぱ、帰ります…みたいな。

ジェイン・オースティンって誰?

 ジェイン・オースティンは18世紀のイギリスの女流作家。

 中流階級の女性とその結婚に至るあまりドラマチックではないプロセスが題材の小説を執筆。

 そもそも恋愛小説の題名が「分別と多感」「説得」「ノーサンガー僧院」とか、お堅い。なんか第一印象、のめり込めない。

 保守的な女性心理を鋭い洞察力で描いてあるそうで英米文学史には必ず登場する評価の高い作家です。ファンも多いらしい。

 映画化されたものではキーラ・ナイトレイ主演の「プライドと偏見」や現代風にパロディー化された「ブリジット・ジョーンズの日記」が有名ですね。観たことある方は多いのでは。

 私は小説は読んだことがないのですが、なんちゅーか、描いてる世界は半径数キロみたいな、自分の生活圏のごく狭い世界での人間模様が赤裸々に綴ってある感じではないかと。

 テーマは違えど、日本のドラマで言うと「渡る世間」みたいな雰囲気。

 あのドラマは中華料理店を営んでる家族の、平凡な日常で繰り広げられる「あるある」な会話や、小さないざこざが、まー、面白いし飽きないですよね。

 ジェイン・オースティンの小説もそんなテイストに近いのではと思っております。違うかな。英米文学界に怒られそう。

©︎ともなみ


 この映画ではジェイン・オースティンをバイブルのように崇拝してるプルーディー、

愛読書として親しんでるジョスリン、

「人生の解毒剤」と言うバーナデット、

図書館司書のシルヴィア、その娘のアレグラ、

唯一の男性メンバーで初めてジェイン・オースティンの小説を読むグリッグと、

読書会に挑む個々の動機には幅があります。

 映画を観る私たちが気になるのはジェイン・オースティンの小説を論じて文学的な理解や哲学的な意味を探ったりする部分ではなく、

 小説の主人公を自分と重ね合わせて感想を言い合い、怒ったり泣いたりする読書会メンバーのキャラそのものなのですよね。

 正に「渡る世間」を観てる心境と同じお茶の間ムービー。そんな家庭的なアプローチが心地よいのです。

 個人的に羨ましいと思うのは図書館で催される「ライブラリー・ディナー」です。

 公共の図書館でこんなお洒落な晩餐会があるなんて日本にはない文化ですね!

頼りないパートナーと女神性を発揮する女たち

 映画のストーリー自体は要約すると上記の見出しの一文に尽きる感じ。私がこの映画で感じた女たちの女神性とはローマ神話に出てくる女神ジュノーと重なります。
ジュノーはユピテルの正妻で結婚や出産の神とされていますが、浮気三昧のユピテルに断固とした態度で女(妻)の権利を主張し、さすがのユピテルもジュノーには頭が上がらなかったと言います。

 女神性を発揮する彼女たちの前でたじたじっとなっているお相手の男性陣は良い意味でホームドラマ的なんですよ。

 ロマンス映画と言えばそれまでだし、特筆すべきことはないのです。

 けれど、この映画にはふと心を休めたい時にひとが求める何かが表現されている。

 それはこの場所では安心して自分の思いを語って良いのだ、どんな自分でも受け入れてもらえるのだ、という母性的なオーラに包まれている居場所を、「読書会」という小さなコミュニティという形で私たちに見せてくれているからではないかと思う。

 立派な意見ではなく、本音や好き嫌いで判断する子どもっぽい感情さえもジェイン・オースティンの小説を軸に語れば相手の心に届く不思議な一体感。

 学生のサークル活動のようなノリでいて知的な好奇心が満たされる予測できないライブ感覚。

 どれを取ってもリアルな知的交流に乏しい現代に求められるような体験ではないかな、と思うんです。

フーアーユー?

 さてこの映画が公開された時から16年の月日が経ち、SNSの出現で誰もが自分の意見を周りに遠慮することなく自由に自分らしく語れる時代となりました。

 しかし反対意見もたくさん飛んできますねー。

 グサグサ鋭い切先が容赦なく胸を刺すことも少なからずあるはず。言葉って痛いんだよなぁ。

 映画でも歯に衣着せぬ発言でプルーディーとアレグラの間には険悪なムードが漂っています。

 相手の出方を見て無難に表面を繕い調和をとることに必死になるより、「あなたはいったい何者ですか」という直球をまともにくらって「我こそは〜」と反射的に答える能力が試される。

 どこに所属していますかということよりも「あなたは何ができますか」と尋ねられる、そんな新しい時代がやって来たんですね。

 過去の映画の集まりでは、私は勇気がなく他人を意識するあまり、自分の考えをはっきり言葉にすることができませんでしたが、もし何かの機会があれば、この映画に出てくる彼女たちのように、素直な気持ちで軽やかに話してみたいなと思いました。

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