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自分だけの言葉をつくるということ


部活が一緒だったNちゃんという子がいたのだが、集団の中にいるとどうしても浮いてしまうような女の子だった。性格が歪んでるだとかそういうのではなく、平たく言ってしまうと単純にコミュニケーションが下手だった。部活内で「変な子」というレッテルを貼られるのにそう時間はかからなかったし、陰でネタにされていた。繊細だったNちゃんはその雰囲気を感じとっていて、その頃から部活のメンバーに対してごく表面的にしか関わらなくなったのがわかった。

わたしはNちゃんを見ていて、自分のなかに何の引っ掛かりもなくばかにできなかった。Nちゃんはわたしより自意識が大きくて、コミュ力とかそういう地頭のよさがわたしよりなかっただけの、わたしと似た部類の人間だったから。Nちゃんの中に何度もあったかもしれないわたしを見たし、Nちゃんが誰かに笑われているのを見るたび肝を冷やした。なんの反論もフォローもできなかった。「わたしにその役が回ってきませんように」と、馬鹿みたいにただ願うばかりだった。Nちゃんがネタにされているあいだ、わたしはどういう顔をしていたのだろう。ほんとうに恥ずかしくて想像したくもないし、後悔もしているけどでも、それが生存戦略だったとも思う。そこで生きていくためにはそうするしかなくて(当然、受け入れられるものではないことは承知している)、そうやって、空気薄いなしんどいなって思いながら、迫ってくるしんどさをギリギリかわしたりかわせなかったりして過ごしてたら、学校行きたくなくなっていた(学校だけが理由ではないし、当時のことそのまんま覚えてるわけでもないし、今となって思い返してそうだったのかもなって感じではあるが)。




「自分の言葉で話したい」とは、ずっとずっと前から思ってたことだった。

ありあわせの、出来合いの言葉でなく、わたしの思想に基づいた言葉だけを使いたかった。でも学校がそうさせてくれませんでした。まあ思春期だったししょうがないのかもしれないけど、どこかみんな冷笑的で、排他的で、なんかつまんなそうにしてカッコつけて大人ぶっていた。退屈なのは自分のせいなのに。

そしてそういう空気の中にいたら、いつのまにかわたしもわたしの思想を何か恥ずかしいもののように感じてしまって、だからどこでも下品で無知な馬鹿の皮をかぶって話してしまっていた。なにより、わたしも当時はその冷笑的なダサい人間の一部だった自覚がある。高校のときにそう思い立って、そういう風にしか話せなくなってしまうのが恐ろしくなったのだ。



大学では、特にゼミは、自分の中で咀嚼し何回もの思考のされていないだろう言葉はすぐに見抜かれて低い評価になるから、むしろ自分で練り上げた言葉を使う必要があって居心地がいい。

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