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徒然なるままに

「2024年がもう折り返しに近いらしい。」

いつの頃から大人になるとそんなことを
半年に一度口にしながら暮らすようになっていて
いつも「おもしろ!」と思っている。

これ、なんでなんだろう?笑


これから夏が来るの嬉しいな。


私の2024年は新年からかなり充実していて
いい感じだ。

4月からは仕事はお休み期間をもらっている?
いや、自ら設けているのだけど
だんだん気づいたのはこれはお休みではないということ。

まいにちをいかに楽しく過ごすか、どう遊ぶか

そのために生きるって本来の生き方なんだ!



「いや、何言ってんの、もう大人なんだからいい加減そんなこと….」
というような考えもあるだろし、それは全然いいと思う。

ただ私が生きたい世界線は、遊ぶように生きる方面。
自分の中でクリアになって、とっても良いなと思えた。

別にそれで損したっていい。
心が死ぬより全然いい。



この2ヶ月はあっちにこっちに旅をしたし
初めましてさんも既知の方も、色々な方とお会いした。

遊んでくれたみなさん、本当にありがとう。

本当に大好きな人としか会ってない。
みなさんが私を好きかは知らないけど、私は超幸せ。
帰り道は福々と浸ってました。




誰かしらとお茶をしたり

大好きなお笑いライブで過去一笑ってみたり

車で煽られてみたり

たけのこ掘ったり

久々に終電逃してみたり

この世の中や将来に絶望してみたり

ただただゆっくり縁側で本を読んでみたり

野生の猿と犬に遭遇して死に物狂いで逃げてみたり

じっくり小豆から餡子を作ってみたり



めちゃくちゃに濃ゆい日々を送っているけど

本来これぞLIFEだ、と味わいきった気がする。

同じような日だって毎日違って
良いことも悪いことも全てギフトで。

私の中ですっぽり抜け落ちてしまっていた部分が
は、だんだん満ちてきたな〜と思えました。


もちろん頭での理解はしていたつもりだけど
おもいっきり、どっぷりと体験してみて
本当の意味での理解ができきたような気がします。



何を意図して、どう創造していきたいか。

自分自身がどう捉え、何をキャッチするか。



こうゆう部分を人は自分以外の何か
(環境、人、情報などなど色々あると思う)
に委ねる?というと聞こえはいいけど…

要は依存させがちで。
(そうなるように仕向けられてるんだけど)

なぜならその方が楽だし、責任を取らなくていいし
いざとなったらその何かのせいにできるから。

でもそこには最終生産物として
虚無感しかないんですよね。

そこに自分の軸はないし
その虚無感もまた
何かにどうにかしてもらうしかない気がしてしまう。


でも本当はそうじゃない。


これまでの私はそれなりに仕事をしてきたつもりだけど
まだまだ依存を生み出してきていたんじゃないかと思う。

本当の意味での支援にはなっていなかったのかもしれない。

でもおもいっきり遊んでわかってきた。


本来誰もがおもいっきりLIFEを味わい尽くす力を持っているとしたら

しなくていいこともいっぱいあるし
できることもいっぱいある。


体の使い方も一緒。

先日叔母が
「足首が硬くて踊りの時に上手く立ち上がれない」
と言ってきたけど
意識の置き場を変えたら5秒後にはスッと立っていた笑

「あれwできたんだけどwww」と喜んでいた。
めっちゃ素直笑

イメージが先、現実は後
は本当にその通りだなあと思ったのでした。



遊んで生きよう。
どうせなら楽しく。
ポジが良くてネガがダメとかでもなく
全部受容して。
泣いて笑って、体験して、ギフトはもらって。

そんな仕事がだんだんしたくなってきたかもしれない
今日この頃です。


P.S.
こんなに遊びまくっている日々ですが母親のリハビリも続けています。
かなりいい感じでスタスタ歩いて、副次的にお腹も細くなって知らない間にピラティスを宣伝している笑
でも彼女こそ、そろそろこの虚無感と向き合うところかな。
実の親にこれ…私の愛が非常に試されます。できるけど。
ありがとうね、お母さん。

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