いい加減、周りに合わせるのはどうなの?

「人生では、憲法に反しない限りは大体何をやってもいい。やってもいい選択もあるが、その分やらないという選択も発生する」


書いているときは、おはようございます。

もなりんです。

世の中のことって、健常者ではある程度のことは時間をかければそこそこまではいくことはわかっています。

それこそ、学校の勉強であれ、スポーツであれ、読書であれ、仕事・労働であれ…。

もちろん、できるまでにかかる時間というのは個人差があり、物理的に絶対無理なところもでてきます。

しかしながら、工夫次第ではその人自身で納得のいくことも得られるのも事実。

それで、何を考えているのかというと。

「どうも、あまりにも型にはまりすぎてしまう人が多すぎるのではないか」


そう思わざるを得ないです。

誰しもが同じ時間、同じやり方で、同じようにできるかというと、そういうわけではないでしょう。

そもそもそれぞれが同じ時間に同じ生き方をしているかというとそういうわけではありません。

だからある人が、「このやり方でやったら上手くいった。だからやってみて」と言ったとしても、必ずしもそう上手くいくわけではないというのは自明なことです。


にも、関わらず。


なぜ、同じようにやりたがり、同じようにさせようとしてしまうのでしょうかね。

また、やることという意味では、今のマスク着用とかも別にどうでもよくないか?と思わざるをえないですね。

そもそも、意味がないことというのは自明なことですよね。

にも関わらず、周りがつけているから着けなければならない。

周りからの目線があるから、つけている。

実に、愚かしいこととおもいませんか?


だとしたら、それは自分でこうしたいと決めた選択なのでしょうかね。

あまりにも、不思議な点が多いですね。

さて、ちょっとまとまりがなくなってきましたね。

ちょっと最初のところに戻しますと。

どんなことであれ、他人に関わらず自分で選んでやるやらないを決めたほうがよくないでしょうか。


その分、やらないことでの代償というものを考える必要はありますが、いかにそこに対しても考えて行動を選択できるか。

仕事にしても、勉強にしても。

なんでもそう。やらないといけないから。周りがやっているから。

それだけで自分の行動を決めるのは、どこか寂しさを覚える。

そう感じた、ここ最近の話でした。

(終始まとまらなかった…。)

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