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「自己中」を受け入れる

前回は、幼少期からの「父親への記憶」が、コーチングで自分の内面と向き合う作業を行う前と後では、全く変わってしまったという内容で書きました。

「父親への記憶」とは、もうちょっと正確には「父親にまつわる過去の出来事への解釈や感情」が変わった、という感じです。

そのときの「体感」としては…
「とっても重たいものが覆いかぶさってすごく不自由で不幸」
   ↓
「重たいものがすっかり消えて、開けた!解放!なんか幸せ!」
みたいな感じで。

この違いって、一体なんだっだのだろう??

今日は『コーチングを知る前~知った初期の頃の私』について書いてみたいと思います。

コーチングに出会うまでの私は、まぁ50年もあるので笑、端的には表せないですが、どんなに気分のいい時でも、常に「怒り・批判・拒絶」みたいな感情を、体のどこかに抱えて生きていたと思います。

気分のいい日でさえそうなのですから、そうじゃない日は…
「なんかイライラする」
「あの人はなんであんな感じなんだ」
「ぜんぜん楽しくない」
「今の私って、ホントの私じゃない」
と、自分も周りの人も、まったく受け入れられないような感覚が強くありました。

そして他人に対して、とくに顕著だったな…というのが
「自分より上の立場にいる人(上司など)を批判する気持ち」
だったと思います。

「なんであんなに周りに気遣いができないんだろう」
「こんなにちゃんと仕事をしているのに、なんにも見てない」
「ほんと自己中にやってるよね、自分さえよければいいのか!」 とか

(本当は、正直に書くのも恥ずかしいのですが。。
そしてその思いを発してしまっていた過去の諸先輩方、ごめんなさい笑)

今思えば、この批判とか怒りって、まさに父親へ抱いていたもののコピーだな、と。

父親の日常的な傍若無人の言動に対して、幼少期からずっと

「自分勝手に自己中にしちゃだめだー、そんな人間許さない!!」
「人の気持ちを無視して、こんなひどいことをしちゃだめだー」
「私たち家族がこんなに気を遣って、自分を抑えて我慢してるのに、なんで何も理解しないんだー」

と、心の中で叫んでいました。
ぁ、正確には本当に叫んだ時もありましたよ。「ふざけるなー!!」とか言ってめちゃくちゃ睨みつけていたと思います、けっこう気は強いので笑。 

それで、私の中に強固にでき上がった【ルール】があります。
(ここら辺から、コーチングで学んだことになってきます!)

●自己中であってはいけない
●人に配慮しなければいけない
●人の気持ちを考えなくてはならない

その【ルール】を、私は世界中の人に適用していました。
外に出ればまったくおんなじように「あ、この人って自己中だな、ぜんぜん人に配慮しないな」と私が勝手にジャッジした人に対して、心の中で「そんなことしちゃだめだーー!」と叫んでいたのです。

仕事は、アルバイトや派遣、社員などでいろいろやりました。
よくわかったことは、職場が変わっても「自己中で、人の気持ちを考えない、配慮しない人」は必ずいて、私はいつも心の中で批判をし「なんでなんだー」とずっと苦しかった。

つまり私は、自分の「外側」の人たちにばかり目を向けて「どうしてそうなんだ、どうして変わらないんだ、そんなのダメだ」と必死で抵抗していたのです。

そうして、何十年もそういうマインドを続けてきた結果、職場が本当に苦しいところ、になっていました。

「自己中な人ばっかり!しかも極端に自己中みたいな人まで現れた!!」

ーーー私の目の前に「自己中な人ばかり現れる」という現象がなぜ起きていたのか??

それは「早く気づきなさい!」ということだったのです。
その原因は「私の内側」にあるのだから「早くそれを見つめて認めなさい」と言われていたのです!

私は父親の姿を見て育ち「自己中は絶対ダメです、あなた(私自身)の中にある自己中ももちろんダメです」というささやき声を、毎日聴き続けていたように感じます。

そうやって自己中にふるまうことを抑圧してきました。
そんな私、絶対出しちゃだめだ!許さない!

けれど、人間ですから本来は自分を大事にして主張することもありますよね。自分の意見をちゃんと伝える、など全くおかしなことではありませんね。そういうことすら、私は自己中とジャッジしていました。

だから「自己中はダメって決めつけてるのはあなた自身だよ~、そんな自分を受け入れなさい~」って教えてくれるために、「すっごい自己中な人」が現れた!笑

目の前で見ていたのは、「私の中で私が受け入れていない嫌いな自分=自己中な私」を映し出していた現象だったのです。

そのことを教えてくれた私のコーチングの師匠からは
「じゃあ、これからはどんどん自己中にふるまってください!」
と、サクッと言われました^^。

じっさいには…そうとう抑えて生きてきたので、そんな簡単に自己中(と私が思ってきたこと)を躊躇なく行動できたわけではありません。1つずつ意識しながら、という感じです。

でも「自己中な自分でいいんだ」って思えたことで、すごく楽になり、目の前に現れた人達のふるまいがだんだん大人しくなってきて、距離も離れ(部署が別になるとか)、今ではほとんど気にならなくなりました。

「目の前に起きる現象」は私に何かを教えてくれるためにわざわざ用意されてくる、ということ。
そして「私がその意味に気づくまで同じ現象が続く」ということ。

すごくマジメなお話でした。。
気づくと、本当に楽になります💕

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