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お産はみんな違う。安産に見えたって、命がけ。

こんばんわ。
書かないと忘れそうなので、もう走り書きでいいから書こうと思って今Macに向かっています。
今日は生まれて1ヶ月半のうちの子が初めてギャン泣きした日でした。今は横でぐっすり。この間にかけるだけのことを書いておこう。

ってことでお産前後のことをつらつらと。

私は正直言って相当心も体もタフ。
これは自他共に認めてます。

だからと言って、じゃあ簡単にポンと1人の生命を産み出したのかといえばそんなことなかったです。
ちゃんとママ学級も行った。
なんなら教育学部出てる。
オーストラリアで保育園で先生やってたこともある。
子供の扱いは結構慣れてる。
そんな人だって、教科書みたいな産み方ができるなんて、そんな保証はなくて。
それが、お産てもんだなと。

私が最終的にお世話になったのは熊谷のさめじまボンディングクリニック。
ここは日本で6つしかない養子縁組も行うような、お産にとことん向き合っている産婦人科の一つ。
ここに行き着くまでに3つ病院を回りました。

私の場合は、「産む時どこにいるか」で選んだ感じ。

最初に行ったのは、当時まだ神奈川に住んでいたので、神奈川の病院へ。
2つ行ったんですが、どちらも冒頭から「母親の自覚あるんですか?」と唐突に言って来て。
こんなところで産む気など起きるわけもなく。

3つ目は上五島の病院。
仕事と気持ちの上ではでここで産みたかった。
でも、島の医療には限界があって。
私の当時の血圧が微妙なラインで、もし輸血なんてことになったらヘリ沙汰。
3時間もどうすればここで埋めるか産婦人科の先生と助産師さんが必死になって方法を考えてくれたけど、断念して。

その末に行き着いたこの病院で、本当によかったと思う。
先の血圧や離島での話も全て聞いてくれた上で「大丈夫大丈夫!こんくらいじゃ普通だよ!安心してここで産もうね!」と出だしから言ってくれたのが決定打でした。

コロナという病気のせいで、検診中から立ち合い禁止。
でも、私の場合は事情によりいつもパートナーは付き添えなくて。
診察全て自分で運転して自分で行っておりました。

だから、日によっては病室にてんこ盛りに集まるたくさんの“旦那さん”の存在は、正直変なプレッシャーで。

「あなたの家は、こういう暖かい家族じゃないんですね」

と言われているような気分になってたこともありました。
自分の奥さんのことばかりで、席が足りないのに退けない旦那さんとか、なんならぶつかっても気にしないなんて人もいるわけで。

だからこの病院では「パパ学級」があります。
パパになる気なら絶対行け、と言いたい。

産婦人科にいるのは、決して自分と同じ境遇の人だけではありません。
新婚ホヤホヤ、幸せ絶頂。しかも若い。
教科書のようなそういう人もいるかもしれないけれど、
流産をたくさん経験した末にようやくそこまで来れた人もいる。
私がいた病院には「婦人科」もある。
だから、決して順調にお産できる人だけがそこにいるのではなくて、いろんな事情の“女性”がいる。
不妊治療かもしれない。
死産の治療のためかもしれない。

ここのママ学級は院長直伝で行われます。
とても共感したのはこの言葉でした。

「ここにはいろんな事情の方が来ます。そのためにこの病院は24時間開けています。待合室で前の方のソファに座るのは大抵幸せ絶頂の妊婦。後ろのほうに行くに従って、喜べない事情だったり、色々あった方が座ってたりします。どうか、自分だけ舞い上がるのはここではやめてください。ママになるなら、そういうことを知っておいてください。」

すごくホッとした。

愛こそ全て!幸せ!最高!

期せずしてそう言えない事情は起こりうるわけで。
だから、ここにくる女性は全て受け入れたい。

ここの産院は、受付のスタッフさんに至るまで、この想いが徹底していました。

だから、居心地が良かったし、何があっても大丈夫だと思えました。

こんなだから、実はコロナのおかげで立ち合いがなくなったってのは、私にとっては「お産に集中できる」上では好都合で。

多分この時期に産んだ奥さんたちは相当にお産ととことん向き合わされたと思う。

私もその1人。

でもこの時間がとても良くて。

私はなぜ今妊婦なのか。
この子はなぜ今ここに舞い降りようとしているのか。
私とこの子はどう生きていきたいのだろうか。
そもそも私は長く生きるのだろうか。
世界はどうなっていくのだろうか。
今手に持っているものは本当に必要なのだろうか。
ウンチを上手に拭けるだろうか?
おっぱいは出るだろうか?

本当にいろんなことに向き合う時間になったと思う。もちろんこれからますますなるのだけれど。

自然分娩希望だったから、少し早いけどもう結構大きいし頑張ろうと、促進剤を使いました。これが辛かった。

4日間。ほぼ100%な投与。
バルーンも3日入れた。
子宮口は4cmから全然動かない。
2日目にいい感じでお腹は痛くなったのに、投与をやめたらスッとなくなった。
ご飯も食べれる。夜も寝れる。だから耐えられたと思う。
バルーンを入れると、ものすごく辛い。
ずっと握り拳を股の中に入れたままグングンされている感じ。
だから、熱も出た。動けなかったし、重すぎる鈍痛に声が出た。
悪夢にうなされる数時間て感じ。

促進剤は1時間ごとに増やされて。
その間は分娩室でひたすら待つだけ。
ここの病院は、コロナで立ち合いもなく孤独だろうからと、毎日アロマテラピーの方がマッサージしに来てくれました。
その方が、大分出身・オーストラリア留学とか言い出すから、痛いのを忘れてめちゃくちゃ話は盛り上がったのは良い気晴らし。

待っている間にいろんな人とzoomしたりメッセしたり。
本当に不思議な時間だったけれど。

4日目には促進剤・バルーンの攻撃からの人口破水。
お医者さんが膜を指で引っ掻く。そうすると破水する。
そっから一気に陣痛と思われる痛さがくる。

言っておくけど、促進剤4日もやると、陣痛の波なんてないに等しくなる。
痛いとかではなく。
全身を雑巾みたいに大きな手で絞られる感じで、中からはいろんな手が広げられて外に出ようとする感じ。

要は、もう体崩壊するやろこれという状態が、波もなくグングンくる。

ケツから大根だの、スイカだのいう人いるけど、その前段はこれ。

いつの頃からか、痛い、う〜とかではなく「助けて〜!」と叫んでいました。

肺も強いし、呼吸にはかなり自信あっても、この不定期な波とは全く合わなくて。

結果、過呼吸からのプチパニック。

言われている言葉は聞こえるけど、体が使えない。
そして迫りくる波が本当に怖かった。
終わらないんじゃないか。
いっそ殺してくれ。
本当にそう思うほどキツかった。

たまたま居合わせた麻酔の先生がいたようで、担当の助産師さんが和痛への判断をしてくれた。
これが本当に良かった。これなかったらどうなってたんだろう。。。

エビの形になってください!

声は聞こえるけど、自分で動かせないわけで。

背中にスッと打たれて、冷たい感覚がくる。
過去に手術は何回かしているから、なんとなく懐かしい。

すると、もやっとした感じであの波の痛さがいなくなる。
ググッと押してくるのはもちろん感じるけど、耐えられるようになる。
助産師さんがおしりと手を握って、リズムを作ってくれる。
そのリズムでようやく我に帰る。
大泣きしていたことにその時初めて気づく。
でもこの助産師さんが本当に上手に“誘って”くれた。
だから実は波形は大きくなっても、どんどん冷静になれた。

「お産に入ります!」

の声で、分娩台がトランスフォームし、助産師さんたちがステルスモードに入る。

よしばっちこい!みたいな感じに構えてくれたので、よっしゃ一発かましたろ!となぜか気合が入る。

麻酔を打っているはずなのに、一気に「だすぞ!」と体全てがモードに入った。すごいと思った。さっきまでのパニックどこ行ったんだ。
これぞ生き物の神秘。

そして、一気にいきむ。いきんでからはあっという間だった。
「え、いきむのうますぎない?ってか、麻酔かかってるのに足にどんだけ力入れられるねん」
と言われるほど、7回ほどいきんだらポンとでた。
出た時から目が合ったし、本人も多分急に出たからびっくりだったのかすぐ声を出して、そのあとは初めてみる世界にふわ〜っとしてました。

お産直後にされるのは、会陰切開の手術。
麻酔のおかげで痛くないけど、お股を縫われます。初めて自分の体が縫われるのをしっかり見たけど、本当に縫い物なんだなと。。。

で、今まで赤ちゃんを守ってきた胎盤をとにかく出しまくります。
これ、すごい感覚です。
体の中に合った膜という膜が、スイスイと外に出されていって、最後どっぷりと大きなものが出ます。
なんていうか、顔なしとデイダラボッチみたいなのを体からどんどこ出していって、最後本体が出る感じ。

で、助産師さんが「ほら胎盤全部でたよ」とバケツいっぱいの胎盤を見せてくれました。
すごい。こんなのが体に入ってたし、もう出ちゃったんだと。
お腹に関してはからっぽ。
さっきまで痛かったのもお腹ではなく骨盤とかだけど、それもなくなり不思議な平穏を取り戻す。

時間は陣発(めっちゃ痛い陣痛)から3時間ちょい。
短いけど壮絶だったなあと。

麻酔打っているのに、すぐトイレに行けたため、「動物用でも良かったりしてね」なんて冗談も言えるほど産んだ直後は余裕があったのも不思議でなりませんね。

で、産褥期と呼ばれる状態に1ヶ月入ります。
ずーっと大量の生理が止まらない感じ。
要はずっと血が出続けるわけです。結構な量です。
しかもお尻が痛すぎて座れません。ドーナツ座布団必須です。
こんだけ血が出てもいいって、女の体ってのは本当にタフにできてるんだなと、自分のことじゃないかのように感じたり。

そうして、立ち合いも面会もできない1人きりの病室にて入院4日間は本当に廃人からの復活みたいな時間だったけど、私が鬱にならなかったのは、いろんな人と連日連夜話せたことがかなり大きかったです。

産んだ次の日爆弾のように張りまくって漏れまくる乳にも翻弄されながら、夜な夜な授乳室には「戦士たち=お産直後のママ」たちが集まり、ソーシャルディスタンスを取りながら、手探りでミルクを作っては飲ませ、おむつをかえ、ゲップをさせ、チェックシートに印をつけて部屋に帰るだけの4日間を過ごすので、退院は本当にシャバに出たな〜という感じ満載でした。

一先ず私のお産前後はこんな感じ。

時限爆弾のように、赤ちゃんに右腕を取られるので、ここで時間切れのためまた次回に持ち越しということで。。。

この産院でのことや感じたこと、妊婦期にどう過ごしたなども今後書いていこうと思います。

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