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ことばの標本(18)_「やさしいね」

「これ、子どもがやけどしないようになってるね。やさしいね」

(ウォーターサーバーのお湯の出口にチャイルドロックみたいなのがあるのを見て、夫が言ったひとこと)


水道水が比較的美味しい田舎で、ウォーターサーバーを導入しようと思ったのは、契約しているガス屋さんからさりげなく営業されたそれがすんごい安かったことと、水道水なんて飲めたものではない中国では既に慣れ親しんでいたものであったからである。

水道水でもいいんだが、ちょっとでも美味しくて、安心して飲める水が割安で手に入るなら、まあいっか。

そんな気持ちで、超標準仕様の(普通の)ウォーターサーバーを導入した。冷水とお湯が出るタイプの。


その、よくあるタイプの、どこにでもありそうなデザインのウォーターサーバーを見て、日本暮らしが久々すぎる夫は、レバーが二重になり、押し回したりしない限り出てこないお湯の方の出口を見て、冒頭の一言。

中国で使っていたサーバーには、そういえば、チャイルドロックのようなものは付いていなかった。


やさしい。そう、私ではなく、ウォーターサーバーが。


ウォーターサーバーはずっと、やさしかったのだ。子どもをやけどから守るためのお湯の出口は、その具現化だ。

そしてまた、このウォーターサーバーを形作るあらゆる部品、素材、エネルギー、全てがやさしいのだった。ちりぢりになっていたパーツが、やさしさを届けるためだけに結集している。

もっと言えば、ウォーターサーバーを作った人がやさしいのだった。シンプルに、私たちに安心の水を快適な温度でサーブしてくれる、こんなものを、必要だと信じ、作る人がいて、届けてくれたことが。

目の前に鎮座するウォーターサーバーのオーラは、もうどこをどうとっても、やさしいのだった。


夫の日本語は貧弱だ。本当に言いたかったのは、「ウォーターサーバーが優しい」ということではなかったかもしれない。けれど、そのあまりに削ぎ落とされた情報は、私自身を、「ウォーターサーバーがやさしい」世界に出現させた。


考えてみれば、私たちの暮らしに、やさしさ以外でできているものを見つける方が難しいのであった。

台風の暴風雨から守ってくれた頑丈な窓や壁や屋根。安心して体を委ねることのできる大きめのクッション。掃除のしやすいトイレや水回り。いつだって「点く」と信じられるほどの安定した電気エネルギー。

洗剤だって、食品添加物だって、薬だって、人には「毒」と言われるようなものですら、「誰かを助けたい」から始まっている、と私は信じている。それを選択するかどうかは、とりあえず置いといて。

単なる擬人化であろうとも、試しに、どんなモノもやさしいんだと思ってみたらいい。そう思える世界は、やっぱりやさしい。

分厚い壁がやさしい。太陽の光がやさしい。アスファルトがやさしい。タッパーがやさしい。子どもの笑顔がやさしい。靴がやさしい。

やさしさでできているのはバファリンだけじゃない。やさしさに、本当はどっぷり、包み込まれている。時々、見えなくなるだけで。


死にたくなるような現実も、全てを支配しているかのような万能感も、どんな凶悪犯罪を犯した人間も、やさしさなくては、生存していない。

呼吸して、食べて、排泄して、ここに生きている限り、やさしさから逃れることができない。







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