読書記録・2010/10/04「構造主義」を読んで

2010年10月4日
北沢方邦著、「構造主義」を読んで
時代は今、支配する者と支配される者との関係で成り立っている。これを打ち破るためには構造主義的思考を人々の間に回帰させる必要がある。
我々の住む社会、とくに日本社会は徹底した管理社会として運営されていると思う。操作する者として権力エリートが存在し、操作されるものとして一般大衆が存在する。著者の言葉を引用すると、「操作するもの」は操作対象の統計的な<行動>の観察によってその行動パターンを認識し、どのような刺激と誘因によって操作対象を理想的な「計画」の方向に操作できるかを考え実行するだろうという。そしてさらに、ここには計測され軽量化された「操作可能性」に対する絶対的な信頼があるのである。
今の社会は、数値化することができない、操作されるものの“気持ち”というものは排除され、自分らしく生きていくことが困難な社会であるということができるのではないだろうか。この「操作するもの」と「操作されるもの」の支配関係は日本の管理社会のみならず、市場経済の仕組みにも言えることであり、その実体を知らなければますます飲み込まれていくことになる。恐ろしいのは、「操作するもの」によって行き届いた管理社会の中で「操作されるもの」が知らず知らずのうちに安住してしまうことである。不満があるにもかかわらず自分自身がどんな構造の中に生きているか見えないがために、改善すること、変化させることができない。
そのような中で、構造主義的な思考を獲得することができれば、暗闇の中で鬱積していたものから、世界が全く違うように見えるようになり新たな道が開けてくるのではなかろうか。構造主義は自分がどんな構造の中に置かれているのか、自分自身を客観的に見つめるための方法である。自分自身の文化や、価値観、行動様式などすべての人がそれぞれ乗っている、しかも普段は見ることができない“土台”を客観的な所から見て分析することにより、普段はそれが普通だと思っている自分自身の文化や価値観、行動様式の構造が明らかになる。
「操作するもの」、「操作されるもの」がともに、それぞれの個人に土台があるということ、そしてその構造をよく理解するということが、これからの時代を作るものに必要な能力だと考える。

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