スクリーンショット_2019-11-05_23

男女の友情は成立するか、否か、みたいな命題について

「雪でも降りそうな寒さだね」と空を見上げながら、君は言う。たしかに、降る雨はとても冷たく、今夜遅くにかけてみぞれに変わるでしょう、と天気予報が言っていても、おかしくないくらいの夜の冷え込みだった。

「そうだね」と私は答える。北陸、小さな田舎町の片隅、日が沈んでしばらく経った、20時過ぎの秋の暗さ。

バタン、バタン、と互いにそれぞれの車のドアを閉めて、足早にファミリーレストランに駆け込んでゆく。

「空いているなら何処でもいいよね」と、選んだのは、じつはこの地域にしか存在しないらしい、エリア限定のチェーン店。地元では超有名店で、高校生ともなれば、仲間内の誰かがどこかのこの店でバイトをしていた記憶がある。

ユミコが働いてたよね、とか、ショウヘイは部活をしすぎてクビになってた、とか、くだらない思い出話をしながら、駐車場から20メートルほど先にある入り口を目指す。息は、白くなってもおかしくないくらいだった。「まだ11月も始まったばかりだから」と生足で挑んだ自分がうらめしい。

昔は、この店は全国にも、当然のようにあるんだろうと信じていたのに。世界は私たちが想像していた以上に広かった、ということだろうか。

ひさしぶり、と言っても、一ヶ月半くらいのものだった。

仕事の都合で不定期で帰省する私は、地元に帰ってもあんまり「過去の友だち」には会わない。堅実に生きているように見える地元の子たちと、20代後半にもなって―いわゆる「いい年をして」というやつだ―非正規雇用の仕事を渡り歩いたり、日雇いのアルバイトをしたりと不安定な仕事に就いている私は、もう話が合わないんじゃないか、共通語がないんじゃないか、と感じてしまって、どこか気後れしてしまう。

前に、せっかく帰ってきたのだから、と出向いた同窓会で、同じ教室に通っていたはずの女の子たちが、みんな「オムツの高額さ」とか「濡れティッシュのオススメメーカー」とかの話をしているのを聞いて、「私が住む世界じゃないな」と感じたことがある。それ以来、気が進まなくて、自分からは連絡を取らないようになってしまった。

けど、彼だけは別だった。高校の頃から、とくにそこまで親しかったわけじゃない。でも、いつだって一番つらいときに「大丈夫か?」と聞いてくれた。話を聞いてくれて、「そっかそっか、分かるよ」と頭をなでてくれた。「俺は味方だからな」と学級委員みたいなことを言ってた。彼氏に振られて一日中授業をサボって泣きはらしていたときは、保健室までやってきて、「おい水分取れよ」と紙パックのいちごミルクを渡してくれた。「俺は、お前らは絶対によりを戻すと信じてるけどなぁ」と笑ってた。

卒業してからも、そんなに頻繁に会ってはいない。成人式でちらり、と話したことと、その後地元のお祭りで、互いに彼氏と彼女を連れて歩いているところを、会釈し合ったり、ほかの友人も交えて食事に行ったりしたくらいだ。

でも、「次にやってくる大台」としての30歳を意識するくらいの年齢になるにつれて、私たちは次第に2人で会うことが増えていった。それは、「属性が似通っていたから」だったと思う。みんな、結婚してしまって、子どもを産んで、それで「夜は出歩けない」とか「飲み会は行けない」とか、そういうことになっていったのだ。

どうしてだか、そういうことに縁がないわけではなかったはずなのに、「みんなと一緒」になっていない私たち。「じゃあ、まあ、今回はふたりでいいか」。そんな風に、私たちの「帰省するたびに会う関係」は始まっていった。次の約束をするでもない、固執するでもない、けれど、「きっとまた会うだろう」の予感だけ携えて。

今回も、帰省すると伝えていないのに、かたくなに地元を出ようとしない彼から「元気にしてるか?」とおもむろにLINEが来た。

いつも、「どうして分かるんだろう?」と不思議に思う。家庭の事情で、急な帰省が決まったばかりだったから。「ちょうど、帰る予定にしたところだったから、予定が合ったらご飯でも食べようよ」「いいね」。そんなやりとりから、会うことにした20時過ぎのファミリーレストランだった。

4人がけの半個室、窓が大きく取ってあるその席で、馴染みとなった定番のメニューを食べる。炊きたてのお米に、エビがたっぷり入ったおおぶりのかき揚げを乗せた、丼ものをふたりで頬張る。「車じゃなかったら、ビール飲みたかったな」「ほんとだよな」なんて言い合いながら、仕事の近況や、地元のショッピングモールの衰退の話、誰々っていう同級生にこないだ偶然会ってさ、とか、今互いに付き合っている人との近況報告とか、をする。

1時間くらいで、食べ終わって、温かいお茶でもどうですか、とか言われながら、ずず、とそば茶をすする。そういえば、そばも有名だったな、今度はそばを食べたい、と思いながら、ちらりと顔を覗き見てみる。

そうしたら、ちょうど「雨、まだ降ってるな」と言い出すところだった。ガラスに打ち付ける雨は、さっきよりも冷たくなっているように見えた。温度なんて、わからないのにね。「ほんとだね、みぞれになってもおかしくない」天気予報士みたいに、答えたりしてみる。

なんのロマンチックもない店で、他愛もない話をして、そっけなくまた今日も別れるのだ。会計は、もちろんぴったり10円単位までの割り勘で、「ちょうど持っててイケてるな、お前」とか、よくわからない褒め合いをしながら、出口へと向かっていく。

「じゃあな。話せてよかった。また時間が合ったら、ごはんでも食べようぜ」。駐車場まで20メートル、足早に歩きながら彼が言う。私も、「うん、また連絡するね。ありがと」と返しつつ、バタン、と車のドアを閉めた。バタン、とドアの向こうで同じような音がした。

彼が先に発進して、私が後から発車する。ばいばい、と思ったけれど、ファミリーレストランを出たすぐのところにある、信号で引っかかっている彼の車の後ろ姿を見つけてしまう。なんだか間が悪い 。でも、そんなことも言ってられないので、ふつうに隣につける。これから彼は右に曲がって、私は左に曲がる。別々の道を進む、その一瞬前の数秒、運転席が横並びになっていた。

ふと、右側を見つめてみる。雨のしずくで、彼の横顔はよく見えない。でも、にかっと口角を上げて笑って、左手を目の高さで振りながら、「じゃあな」と言った。と私は思う。信号がもうすぐ変わる気配がする。右手を上げて、口角を上げて、「じゃあね」と返しながら発信作業を進める。信号が、赤から青に確実に変わっている。私たちは、進まねばならない。

そういえば、あの車には、飲み会の送り迎えをしてもらうために、何度も乗ったことがある。けど、今日はすこし遠い気がした。一定の距離感。触れることができる距離にいたとしても、決して触れない。触れたとしても、肩にぽん、と手を乗せて、「おつかれ」と言い合うくらい。

この関係性に、名前をつけたら一体何になるのだろうか。喜びというよりも、悲しみややるせなさ、やりきれなさや切なさみたいなものを、無言のうちに共有できる「同志」、のような。男女という判別方法を、私たちはことさらに意識しないようにしているだけのような、気もするけれど。いま、このときにおいては、私たちの間には確実に甘さはないし、これからもないといいな、と思ったりすることは、単なる私の自分勝手な解釈にしか、過ぎなかったりするのだろうか。

いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。