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医療と教育の共通点

キャリア共育デザイナーの赤井友美です。

いま、自費診療の歯医者さんに通っているのだけど、その歯医者さんと話せばはなすほど教育と医療って共通点が多いなーと思うので、今日はそれを自分のためにまとめておこうと思う。

教育も医療も制度が出来上がっている

「教育」は国の教育制度のもとに、教員免許制度があり、子どもは小学校から私立の学校に行く人もいるが、多くは公立の地元の小学校、中学校に通う。高校、大学と進学するにつれ、私立の選択肢が増え、寮生活をえらんだりして遠方の学校にも行く。

医療も国の医療保険制度のもと(日本の場合、予防医療は発達しておらず)、医師免許制度があり、体調が悪くなると身近なクリニックに行き、ちょっと手が掛かる病気になると近くの総合病院に行く。がんなどの生死に関わる病気になると、遠くの病院まで行ったり、自然医療などを選択する人も出てくる。

どちらも、国の制度があり、免許制度があり、そのシステムが既にできあがっていて「その中にいる人たちにとっての当たり前」があり、それで生活もできるし「その中にいる限りは大きな問題がない」ように感じるというのも大きい。

教育も医療も、大きい視野で捉えると、もっと良い教育があったり、良い医療があったりする。問題点も見えてくる。
ただ、それは既存システムには用意されていない(国の制度範囲外)ので、提供できる人は限られ、とてもお金がかかる。

教育の成果も医療の成果もどちらも明確になるのは数十年先

成果というのはインプットの質で大きく変わる。

教育の成果は
・学校
・家庭
のインプットに、子ども自身の実践が掛け合わせ、アウトプットとして出てくるのは数十年先。

医療の成果(健康というべき?)というのは
・これまでの食生活を含めた体づくり、精神余裕のありなし、知識のありなし
・これまで受けてきた医療
のインプットに、一人一人の実践が掛け合わされ、アウトプットとして出てくるのは数十年先。

どちらも結果として見えてくるのは数十年先。

実際、私は今の歯医者さんに通って「ああ、健康を意識していたけれど、できていたと思っていた医療の選択はまだまだだった」と気付かされることがいっぱいだった。

結局は「本質を見ている人に出会えるか」

『こんな治療をしてくださる歯医者って世の中にどれくらいあるんですかね?』と聞いたところ
『「こんな治療方法があるよ」「こんなやり方をした方が数十年先の歯を残せる確率が高くなる」と散々勉強会をしたけれど、取り入れるお医者さんは1割もいなかったよ』
『今の仕組みに移行できるまでに数十年かかって、しかも収入も大幅に減って本当に悩んだりしたよ』と言っていて、教育現場と一緒だなぁと思った。

教育の世界では、対話が大事、主体的選択が大事ってみんな頭ではわかってる。
学習指導要領は10年ごとに大改訂があるけれど「社会の変化に自ら対応できる心豊かな人間の育成」「自ら学び自ら考える力などの生きる力を育む」という言葉は1980年代から言ってる。

ただ、実際は日々の校務に追われ、授業準備もままならず、問題集を解いて受験を突破できる練習をすることと、季節ごとの行事と部活を日々こなして、手一杯になってしまう学校が多いこと。そして、教育という仕事がなくなるわけではないし、そんな中でも素晴らしい生徒は時々出てくるから変化も起きにくい。

医療の世界も日本国憲法第25条第1項の条文「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」となっていて、みんな健康でありたいとは思っている。
でも、実際は「病気になってから」「この治療方法では治らない」と気がついてから、初めて自分の体に向き合った、病気について調べたという人も多いのではないだろうか。
同じ食生活をしていても環境も体質も違うから、医師に「人によりますからね」と言われてしまえばそれまでだし納得してしまうのだから、こちらも変化は起きにくい。

医療も、教育も結局は「本質を見極めている人」にどれだけ出会えるか。

そして、本質を見極めて良心で続けている人が苦しくなって「やぅぱり元のシステムに戻った方がよいんだろうか」と思わないで済む仕組みを自分達で作れるか。

そして、「本質を見極めて、それを諦めず伝えてくれる人」というのは医療や教育に限らずいる!というのが一番大事なポイントなんではないだろうか。。。

私たちは「本質を見極めている人」にどれだけ出会えてますか?

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