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桜舞う、帰る日。

明日からの天気は崩れるという予報で、4日間の滞在を終えて、帰る最終日のこと。


私の実家から、道路を挟んで、対面のお宅、町中さん。

母が、「町中さんの黄色い花を見てよ・・レンギョウだよ・」

「ミモザかと思った・・」


そこの、おじさんが、以前から入院?施設に。胃瘻の処置を受けて・・。

おばさんは、杖をつきながら、右足庇う様にして。でも、母よりうんと若いから、車の運転ができる。

今日は、日曜日、おばさん、玄関を開けて、そこにたたずみ、外の風景を見ながら、目頭を拭う様子に。



私は、初日から、竹藪に入って、竹の子探し。

竹藪の入り口がカラスのエンドウという雑草に覆われ、見つけにくくなっているし、母も自分の妹(おば)から、「竹の子!」と催促されている様子。

小さな、草取り用の小鎌と、ミツマタもどきの草かきをもち、つたの根っこを切り、目立ったところだけ草刈り開始。

2日目、朝は早い。朝刊が届けば、郵便受けに取りに行く。それから掃除機をかけて。


母と、私とでは、食べる時間をずらす。二人とも、別々なものを食べるようにしている。自分の食いぶちは、自分で用意。

だから、7時前には、竹藪に入り込み、草刈り。その時に、竹の子が見つかる。


印の竹枝を差して。自分で、差したところすら、復習しないと、見失う。


上手の、竹垣沿いの枯れ笹を除けて、つたぎり。


3日間、続ける。


姉が、掘っていくので、案内する。


2日目、偶然にも、午前中に、姉が掘った後、3本ほど見つけてしまったので、母に言う。妹(おば)が竹の子が欲しいと、言っていたので、電話で、呼び寄せた母。


母は、長女だけあって、杖付き老人なので、妹(おば)でも、「道具は、出してある、勝手に掘れ!」と。


おば(妹)に、竹藪を案内、道具は?と聞くので、クワを持たせて。

3箇所場所を教える。自分は、掘らない。あくまでも、ガイド。


「奥様、軍手、どうぞ・・」


「うちの姉よりも、お上手!!」竹の子のイボイボがちゃんとついているから。


ひとつ、掘りにくいものがあって、それは、諦めてもらった。

結構、大きくて、それでいて、赤ちゃんみたいで、かわいらしい竹の子ちゃん。

朝、姉が掘って、「あんた、あげる」といったものを、事前にお土産用に用意しておいたものをおまけにつけた。

何故ならば、竹の子の掘ったそのまんま、というのは、母曰く、「クソつけて渡すようなもの」と。必ず、包丁で、剥き出しの根元の部分を少し切って。それが礼儀というものらしい。だから、母に見てもらいながら、「これでいい?」とチェックしてもらったもの。


あとは、母と妹で、ディープな話をし始めるので、抹茶ラテを出して、そのまま外仕事。おばが帰る際には、「お疲れ様でした!」と一言、ペコリとお辞儀。

にわか雨が・・。
雨には、竹箒作り。青々した竹なので、穴を開けて、竹釘を作り、挿すだけ。竹の枝払いしたもの、頃合いのいいものを拾ってきて。あとは、箒の持ち手の竹が乾燥するのを待ってみる。時間をかけて、自分で竹箒を作ってみようと。

夕方、姉が熱々グラタンを持って現れる。

実は、私、その時、左足の膝が少し痛くて、イライラしていた模様。

母と、姉の会話がお花畑。そこを踏み散らすのが、イライラの私。

姉、怒りを抑えつつも、「あんた、頓服飲んだ方がいいよ!!」

「頓服飲むと、記憶が消えていくから、我慢する」

「そうね、薬に頼りすぎるのもね・・」


寝るが、午前2時起き。コーヒー飲んだり、テキストを読んだり。早く、夜が明けないかなあと。白湯も飲んだ。

5時ごろ、朝刊。少し早いが、表のカーテンを開けて、掃除機をかける。

恒例の草刈りと、竹の子探し開始。奥の方に、4本。見つけた。根っこに沿ってみると、なんとなくだけど見つかる。姉と竹の子掘り。ガイドのみ。

立派だけど、赤ちゃん竹の子。満足の姉。「誰かにあげたら?私は、破竹の出る頃でいい」

今朝お勉強といえども、榊、柊木、剪定と、インプットされ、そのまま、榊の足場づくり。

母の呟きを、真に受け、榊の剪定を始める。

足場は、アルミ梯子と、耕運機を使っていた頃の渡し板。滑り止めが打ち付けてあって、こんもりした高台から、木に渡して、安定度を確かめ、ひと枝を剪定。

ふた枝目をやり始めようとしたら、母から、ダメ出しをくらい、やめる。

「また、疲れるほどやったらいかん!」と。


左膝が痛いので、「散歩してくる・・」と、買い物に身軽に歩いていく。これが、私流の、クールダウンもどき。

竹藪の入り口で、残骸だらけ、それをコツコツと、片付けていく。


ひたすら黙々と。枝葉は剪定バサミでチョンチョンと外していく。ノコを使わないといけないものは、区別して、後から、屋根のあるところで、薪用に、同じサイズに切りそろえて、束ねて、縛る。

「あんたも、薪作りかね・・」

太いものを切り始めたら、母がじっと見つめて、親父のヒラノコを出してきて、「これを使ってみよ!」と。

母の言う通り、ヒラノコで。

丁寧に切ったものを渡すと、「榊って、目が細かいね・・」と次は、匂いを嗅ぐ。

次の日は、弘法様の行事で、餅をついたり、オコワ(お赤飯)を蒸したりされるので、その時に、利用してもらいたいと、焚きつけ用の枯れ竹をへし折って、母が束ねる姿を見ていたから。大型の餅つき機は、うちのものを貸し出しているそうで。

そんな母の姿を見ていたら、生木も、干しておけば、薪用に利用されるんだと。母の真似をしてみた。サイズは、焼き場に転がっていた、枯れ竹が、物差しがわり。


あまりに、コツコツとやる姿を見て、昨夜の怒りは忘れて、蝋梅の剪定箇所、10月には、紫木蓮の剪定箇所、カラーテープを持ち歩いて、マーキングしておいた。

蝋梅は、花が咲きおわり、葉芽がこれから出てくるので、母の言った通りに剪定しておいた。

紫木蓮は、毛皮のコートを半分脱ぎかけて、むらさき色の大きな花が膨らみ始めて、少し開いたものも。母だよなあ・・。少し意地悪で、魔女みたいなところがあって、暗い紫。母だよなあ・・戒めばかり。それでいて、あったかい。

しだれもみじが、私の楽しみになった。桜の蕾のような硬いピンク色した芽が。母の父親から接木して育てたものらしい。


昨夜の怒り

私のおちびの頃の記憶を言ったら、姉が、すごい変な目で、見て。

元々病気持ちなので、「私って、変?変?」って、少し突っかかってしまった。

「姉妹仲良くせないかん、それができなかったら、もう、来るな!!!」

と、顔を震わせて。



姉は、河原さんと言う老夫妻に竹の子を届けたことを話してくれた。

喜ばれたらしい。奥様が母と同じくらい。旦那様が年下。

姉も、ご近所の老夫妻のことを竹の子を届けることで、見守っているかのようだ。

元々、街の人で、移住して、うちの田んぼを借りて農業を始められた方。そんなご縁のようだ。

私には、語気を強めるが、母も姉も、優しいところは持っている。



桜舞う、最終日、竹の子探しは、程々にした。松の木を観察していた。昨日、母に教えられた、木の苔は、取り除くと、木が長生きすると。だから、庭中の庭木を見ては、苔が目についたものは、手袋をして、落とす。

姉が、「山椒が欲しい」「じゃあ、手伝う」まだ、出始めで、椅子を持ち出して、二人で協力して、まだほんの小さな木の芽を少しだけ摘んだ。

草引きを少々。白い椿の花が、生垣沿いにポツポツ落ちたのを、拾っては、うちの藪に捨てていく。



その姿を見られたのだろうか。

ただ、家のそばに、旧街道の道があるから、生垣沿いと、生垣の外側に落ちた、椿の花を手で拾っては、カゴに入れていただけ。


帰路につくとき、チラッと見た。町中さんが、娘さんに庭箒を持たせて、一緒にお掃除する姿を。














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