「宿根草の庭」 母の庭づくり #13 秋明菊と貴船菊と菊。
実家へ帰ると、母は、食事中。または、服薬中。
そして、テレビは、NHK。今は、政見放送が流れてくる。
どこの党か知らないけど、本で読んだ言葉の羅列が、耳に入ってくる。
今更、なんだ。貧乏は、どうあがいたとしても、貧乏のまま。
姉が、一言、「私は、職場で目一杯働いて、働ききったから、次のステップ、今の畑作(農業)も、キッパリとせいせいとできるわ!!」
とさ。「だから、ストレス感じないわ!!」
ふ〜ん。
私が、母にげなげな話で、「イノキの旦那は、脱腸でしょ!」「うん、なんか腸が出るらしい、うん、うん。」
「そんでよ、私の義兄(夫方の)は、腸重積だってさ・・」
「男の人って、腸にくるもんかね?たまたま、腸つながりか・・」
母、「ほ〜・・」
ここで、姉が、座敷に飾ったという、絵の会の作品展に出したというものを、教えてくれる。
私、見る前から、「すごいね・・努力家は違うわ!!」
姉のご機嫌とりも慣れてきた。
「才能より、努力家が最後は残る・・」私は、思う(言った)
この自己主張の強さは、右から左へ流れていく。
「すごいね・・、すごいね・・」褒め称えておくと、機嫌がいい。
なんせ、家主だから。
自己主張するところがない自分。
そういう性格。職場でいじめられて、おかしくなったし、かないっこないと、諦めている。負けのひとは、右から左へ流す術を。
我慢というよりも、まあどうでも良くなった。
靴下に穴が開いてようが、履き続け。母も同じ。さすがに靴に穴が開いたら、足に異常が起きたら、新しいものを買うけど。
これも、「我慢」のうちだろうか?「我慢」が当たり前になってきてしまった。
秋明菊の花言葉が、「忍耐」。
周りにあった、偽コバンソウを片付けて、秋明菊が映えるようにした。
夏の花類を片付けている。
母の足が朝は辛うじてだが、午後になるとむくみ始めて、動くのも億劫のようだ。
だから、鉢植えの花は、もう買ってくるなと言われている。
だけど、菊づくりだけは、続けているようだ。
「おばばさん(母)とイノキさんは、母と娘、つまりは、生産元がおばばさん。私とイノキは姉妹、姉妹ってものは所詮、他人同士なんだよ、そうやって、思ってないとやってられないわ」と、最後に呟く。
庭の、生垣あたりには、下野草とばかり思い込んでいたが、いつの間にか藤袴になっていた。よく似ているから。写真は、撮り忘れた。
ぼやき・・悪魔のささやき
あのさ、作品を仕上げて、額に飾るのはいいけど、素敵なことだよ。でもね、溜まると、あとが大変だよ。現に、うちの夫の山岳写真展の出品依頼ごとにパネル装丁して、それがたんまり壁にかかったまんま。終活どうすんねん。
プロの絵描きでも、油絵具のキャンバスの処分に困った、困ったと言っていた。額縁の処分に困った、困ったと。昔は、パトロンなんかいてさ、お金の援助をしてもらったとしても、今のこの世の中、時代が変わった。そういう絵描きの裏を少し見てしまった。
だから、私は、額には飾らない。すぐ捨てられるからです。名前も入れません、人にあげられるからです。処分しやすいですし。
心配なのは、謎の「ごぼう巻き」絵が切り取られて、遊び文字に「おでん、ホカホカ」と描いて飾られることが、一番恐怖だ。あの「ごぼう巻き」は、夫の、・・だからです。(無邪気なイノキちゃんなら、やりかねない。)