はじめての子育て100日。いろいろあってウェルビーイングに生きようと思った
娘がうまれて100日。一瞬だったけれど果てしなく長くて、小学生の"夏休みの永遠さ"みたいに不思議な時が流れた。
ふにゃふにゃで産まれてきた娘は、もうすぐ首が座りそう。好きな絵本に反応して好みを主張するし、掴むのもうまくなってきた。
はじめての子育ては想像以上にハード、が素直な感想。そして私は自分とも向き合うことになりディープだったので、そのログをここにそっと残そうと思う。
コロナ禍の妊娠生活は、ステイホームで人と会えないイレギュラーな期間と重なった。フルリモートワークなのもあり「妊婦だから」と制限されることは、刺身とお酒くらい。むしろ、変化していく身体と、ゆっくり向き合えて楽しい時間だった。
緊急事態宣言の解除とタイミングが重なった産後。みんなは少しずつ日常を取り戻しつつある。
だけど、私は会いたい人に会えない日常が続く。横には超絶かわいい娘がいて、今のにステータスをつけるなら【超ハッピー】。けれど、友人に会いたいのはまた別の話。
人生の中心が仕事から、はじめての子育てにいきなりシフトした産後。余裕がないし、眠いし、思っていたより色々ギリギリ。もちろん、夫婦で家事子育てを分担しているけれど、昼間はどうしてもワンオペ、さらに娘は想定外に超〜ママLOVE。機嫌が悪いと私以外は拒否&ギャン泣き!(2ヶ月なる前からパパ見知り、早くないかい…?)
やっと見つけた自分時間は、深夜2時だったり朝5時で。こんな時間に、急に会いたい人とつながれるはずもない。SNSで見る友人たちが楽しそうで充実感あふれ(ているように見え)、胸がぎゅっとなる。
私だけパラレルワールドに来た? と思うくらい、文字にすると大げさだけどママになって生活が180度急変した。
社会人になってからは、"自分軸で生きる"みたいなことに、時間とパワーを使ってきたように思う。
人に気を使ってばかりだった私にとって、"自分"の心地よさを模索すること自体がとても未知。でも、働き方など、居心地のよい感じを毎日に見つけはじめると、力の抜き方を覚えはじめて。
自己肯定感みたいな部分と向き合うことも多く、お豆腐メンタルは木綿くらいには進化。年齢を重ねるほど、生きるのがうまくなっている実感があった。
そんな、毎日から一転。
はじめての子育ては、定期的にいっぱいいいっぱいになるハードボイルドな日々。でも、かわいい娘を目の前に「子育てがしんどい」「自分の時間がほしい」なんて口にしていいのかわからず、余裕がない日もちらほら。
もちろん、小さな命が側にある緊張感もある。さらに、3時間置き授乳ミッションにはじまり、今までのようには眠れない。
けれど、不調の原因はそれだけではない気がして。産前の私なら悩まないことにも、いちいち参ってしまう。
産後鬱やマタニティブルーも疑ったけれど、それを確認する項目には全然あてはまらず、多少溜まっているにせよ"ストレス"のひとことで片付けるのも何か違う。
そうこうしながら娘が一ヶ月半くらいの時、ふと気づいた。
もしかして、この気分が落ち込む感じ、過去に折り合いをつけたはずの『扱いにくい自分』が久々に顔をだしているのかも、と。
社会人になって身につけた「ごきげんに過ごす」技術とか、「嫌なことから逃げてもいい」論など、自分をゆるめることで封じ込めに成功していた一面が、寝不足と自分ケアする余裕がない今、あばれだしてしまったようだ。
とにかく自信がない、ネガティブ暴走しがち…etcと、なんだか身に覚えのある感情たちが、まとめて10年ぶりくらいに噴出したと思うと、とても腑に落ちた。(この子たち、私の中から消えたと思っていたけど、大人しくしていただけだったのね。)
産後、自分時間と睡眠時間は常に天秤にかかっているし、自分のタイミングで何かをするのはあきらめの領域。不器用すぎて笑ってしまうけれど、泣くと食べられないので食事に麺類は選ばない、みたいな世界線だ。
そんな新米ママとしての日々が、自分の機嫌をとることで平穏を保っていたメンタルを追い込んだらしい。
—— さて、この蘇った感情たちとどう折り合いをつける?
一度は大人しくしていた感情たちとはいえ、自分の一部。調子がよくないと、きもちを引っ張られ「私がだめだから…」みたいなモードに突入しそうになる。
ただ、以前より成長している分、完全に落ち込むことはなく、どこか客観的でいられたのはよかったけれど。
***
まず夫に弱音を吐くことからはじめ、実家に2週間里帰りした。娘がまとめて寝るようになってからは、夜営業のマッサージ店を探したり、あえて副業をはじめたり(育休中OKな範囲で)、頭やきもちを切り替える時間を作るようにしたら、少しずつ『扱いにくい私』は顔を出さなくなってきた。
まさか、はじめての子育ての最中、昔の自分と再会するなんて。想定外だし、しんどくてマジ勘弁だったけれど、今じゃなくてもいつか復活したんだろうなぁ、と。
こころは、とても小さな積み重ねで思うより疲れを溜めてしまう。けれど、些細なケアで少しずつ回復もするらしい。
私の場合「マッサージに行く」とか、文字にすると恥ずかしいくらいに単純なことで回復したけれど、「自分は疲れている」と認めないと解決にむかえなかった。
今まで"扱いにくい"と「封じ込めていた」感情たちは、また封印するのでなく、うまく「共存」していくのがよさそう。
これから先、どんな時も自分に目をむけることを忘れず、特別なことじゃなくても、毎日に小さな息抜きをちりばめておくのは大事。というのが今回の教訓だ。
ちなみに、この蘇った自信がなかったりする私の一部分。「ネガティブ」と表現するとシンプルだけど、「扱いにくい感情」と書いたのには訳がある。
振り回されている最中はきついけれど、例えば「自信がない」は、きちんと調べる、相手を思いやるなどにつながって、それは完全に今の私の基盤。そう思うと、一概に「ネガティブ」と書くのはなんだか違くて。
最後に、今回トラップとなったのは、かわいすぎる娘であることを追記しておく。すやすや腕の中で寝落ちした彼女を見ると、いろんな疲れを一瞬忘れ、またがんばれてしまう。
でも、私のこころの余裕は、娘にとっても大切なこと。今年は、よりウェルビーイングに、毎日を軽やかに過ごしたいと思う。
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4月から職場復帰。自分時間がなくてメンタル調整に苦労した、というnoteを書いておきながら、あと育休が3ヶ月と思うととてもさみしい。自分時間もつくりながら、思う存分べったり過ごすぞ…! おわり👶
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