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【エッセイ】かわいい

 私はこの世の中に無限に存在する言葉のなかで、最もポジティブで最も警戒すべき言葉を知っている。

 「かわいい」である。

 「かわいい」という言葉はどんな言葉にも凌駕することができる魔法の言葉だ。
 「綺麗」の反対語は「汚い」で、「面白い」の反対語は「つまらない」。しかしなぜだろうか、「かわいい」の反対語は私は見つからない。もちろん「かわいくない」という言葉はあるが、それは「かわいい」という前提があっての考えである。
 「ブサかわいい」「きもかわいい」という言葉があるように、ブサイクでも気持ち悪くてもかわいければなんでもいい。どんなマイナスな言葉も「かわいい」には敬礼せざるをえない。

 具体例を出してみる。
 社会の授業だ。担当の橋本先生は53歳。「質実剛健」の似合う強面男性教師。いつも厳しく、地図帳を毎度毎度忘れる私は怒られっぱなし。野球部の顧問で頑固者ではあるが、生徒に対してまっすぐな姿勢から尊敬している生徒も少なくない。が、しかし私にとっては地図帳を忘れるだけで怒られるのでそんなことどうでもいい。苦手だ。かわいいなんて思うわけない。
 こんな先生、誰しも学校に居なかっただろうか?いや居たでしょ?あなたも地図帳忘れて毎回隣のクラスの友達から借りて難を逃れてたクチでしょ?そういう日に限って橋本先生は地図帳を使わない授業して「こなクソ」と思ってたクチでしょ?
 私、橋本先生は全教育機関に配備されてると思っています。そして私のように橋本先生が苦手な人もいただろう。

 しかしある日の休日、家族と一緒に隣町のファミレスに行くと、斜め前のテーブル席には橋本先生と奥さんの姿が。橋本先生はカップを片手に、奥さんとティータイムを楽しんでいる。石膏でできていると思っていた固い表情は饅頭のように弛緩し、笑顔をつくっている。

そんな顔で笑うんだ、かわいい。

 あ、奥さんがコーヒーをこぼしてしまった。すると橋本先生はすかさず、右ポケットから空色のハンカチを取り出し、「まったく…」と微笑みながらコーヒーを拭っている。

 ハンカチ常備してるんだ、空色の。かわいい。

 店員さんが橋本ご夫妻のテーブルに近づく。店員さんは寸分の迷いもなく、奥さんの前にいちごパフェ、橋本先生の前にはチョコレートケーキが置く。店員さんがごゆっくりと伝えると、橋本先生は何事もないように、いちごパフェとケーキの位置を入れ替える。

おいおいおいおい(額に手を打ち付け)。かわいいな。

 いかがだろうか。決してかわいいと思わないような人間も、いつの間にかかわいくて仕方がなくなっている。もう地図帳で怒られても、もはやその叱りもかわいく思える。どんなに怖い人間も「かわいい」の一言で凌駕されてしまったのだ。

 しかし前述にもある通り、「かわいい」という言葉は最も警戒すべき言葉でもある。
※個人の感想です。

 私は、かわいい人が大好きだ。
 橋本先生のようにかわいいおじさんも好きだし、かわいい男性も好きだし、かわいいおじいちゃんおばあちゃん好きだし、もちろん、かわいい女性も好きだ。かわいい人に出会った翌日は分かりやすく肌艶が良くなっているのを感じる。日々の幸福をたくさんのかわいい人たちから頂戴して生きている。

 が、しかし私は、その人たちに「かわいい」と伝えられない。
 20歳、三代朋也の最大の悩みは「かわいい」と言えないところである。

 日々かわいい人と出会った瞬間、脳内には「かわいい」と即座に生成されるが、口に出るのは「k」ぐらいになってしまう。
 私は、かわいい人にかわいいと言い続けるとますますかわいくなる現象、「かわいいインフレーション」の存在を知っているのにも関わらず、かわいい人にかわいいと伝えられないでいる。
 何故か分からないが、「かわいい」と伝えることに対して、恥ずかしくなってしまうのだ。え、まだ思春期?

 木原という友人がいる。木原は私にとって憧れであり、憎悪でもある。木原はあたり構わず老若男女に「かわいい」というのだ。羨ましい。俺も言いたい。
 理由は分かっている。それは木原というキャラクターが「かわいいと言いまくっても差し支えない」という形をしているからだ。木原自身もそれを自覚していて、木原の顔には、
「え、俺かわいいって言っても大丈夫っしょ?別にいいよね?差し支えないよね?」
と、今年の漢字の如く毛筆で書いてある。
 でもかわいいと言いまくるなりに上手くいかないことも、木原を見ていると痛く分かるので、「かわいい」はほどほどに扱うべき、警戒すべき言葉であると改めて確認する。

 それともう一つ、「かわいい」に関する悩みがある。
 それは私自身が「かわいい」と言われることに耐性がないことである。
 「え、あのおっさん顔の三代朋也がかわいいなんて言われるの?」
と考えたそこのあなた、橋本先生呼びますよ。
 だがしかし、「かわいいなんて言われるの?」という点においては共感の雨嵐である。確かに幼少期の私は紛れもない可愛さを持っていることは自負している。しかしティーンになってからの私にかわいい要素なんてひとつも存在していない。かわいいと言われることに理解が追いつかず、脳が完全にストップしてしまう。

 高校2年生の時、三年生を送る会の一幕に出た話だ。私の通っている高校は行事においてはものすごい盛り上がりをみせるスタイルで、歓声は湯水のごとく湧き出し、舞台に立てば誰しもがアイドルになれた。
 そして私の出番がやってきた。私の役はアインシュタイン役だった。白衣を靡かせ、頭には白いハゲアフロをつけるという、まあなんという出オチかつ安直な格好だったことか。その出オチスタイルを出オチで終わらせないよう、私は精一杯アインシュタインを演じた。
 演技を終え幕に戻るとき、その言葉は聞こえた。
 「かわいい〜!」
 その言葉を背中で受け、幕に戻った私は手を膝につき、確かにこう口に出した。
 「俺が…かわいい……?」
 アインシュタインは相対性理論より、遥かに凄いことに気づいてしまったのだ。

 「かわいい」とは最もポジティブで、最も警戒すべき言葉である。
 この答えの意味を、少しは理解いただけただろうか。「かわいい」について、いつか哲学できたらなあと思っていたのでいい機会だった。
 私の「かわいい」への悩みは必ずや克服し、世界にかわいいインフレーションを巻き起こし、全宇宙かわいい計画を推進してまいります。

 以上のことから、橋本先生はかわいいと思います。なので席に戻らせてください。
 ありがとうございます。次からは持ってきます。

 …え?なんですか?……資料集?

 …忘れました。

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来週は短編小説をお届けします。

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