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『ファーストマン』”静かすぎる男”との一体感を生む撮影と音楽

『ファーストマン』First Man 2018年 デイミアン・チャゼル監督

 人類で初めて月面に足跡を残した宇宙飛行士ニール・アームストロングの半生を描いたドラマ。

 筆者は、宇宙飛行士には2回インタビューしたことがある。アポロ17号の乗組員で「月面に着陸した最後の人類」であるユージン・サーナン氏と、スペース・シャトの乗組員だったリロイ・チャオ氏である。
 当然、恐怖はないのか、パニックは起こさないのか、という質問になったが、常に冷静沈着な性格だからこそ宇宙飛行士に選ばれたのだと言われた。
そのなかでも最も冷静沈着だと言われたのが『ファースト・マン』のニール・アームストロング船長である。劇中でも、彼は常に無表情で無口で、喜怒哀楽を表に出すのはわずか数回しかない。
 だから『ファースト・マン』は静かでひんやりした映画だ。アメリカン・ヒーローの物語にもかかわらず、熱く燃える情熱とは無縁だ。笑顔のガッツポーズもない。アームストロングが妻や子どもにすら心を開かないほど静かすぎる男だったからだ。
 その彼に観客を感情移入させるため、デイミアン・チャゼル監督はどうしたか。映像によってアームストロングを無理やり体験させたのである。
『ファーストマン』はほとんど全編が手持ちカメラによる撮影で、特に宇宙飛行のシーンでは、ライアン・ゴズリングの顔ギリギリまで近づいた超クロースアップと、彼のPOV(一人称視点)ばかりなので、観客はアームストロングに一体化せざるを得ない。
 宇宙船を外側から撮ったショットをおさえ、無限の大宇宙の中で閉所恐怖症的に描くことにしたのは、チャゼルが実物のジェミニやアポロの船内に入って、まったく身動きできない狭さに驚いたからだという。
「『早すぎた埋葬』の生きながら棺桶に入れられるイメージだ」
 チャゼル組の撮影監督リナス・サンドグレンは、船内の撮影に16ミリ・フィルムを使った。1969年当時、ニュースやドキュメンタリーの撮影に使われていたフィルムなので、当時の本物の記録映像のような質感がある。現在主流のデジタル・カメラを使ったら、最近撮ったものにしか見えなかっただろう。
 アームストロングの家庭生活も16ミリで撮られたのでホーム・ムービーの趣きがある。サンドグレンが気をつけたのは「完璧な構図にしないこと」だという。プロが作り込んだ芸術的なフレーミングではなく、素人がその場を撮ったようなショットのほうがリアルだからだ。そのため、ピントもあえてきっちり合わせていない。
 NASAの訓練や宇宙船のシーンは35ミリ・フィルムで撮られ、現在のほとんどの映画が使っているグリーン・スクリーンによるデジタル合成は使わなかった。X―15実験機やジェミニ、サターン・ロケットなどのもコンピュータ・グラフィックスを使わず、実物大またはミニチュアの模型を作り、横18メートルもある巨大なLEDスクリーンの前に起き、スクリーンに背景の映像を上映して撮影した。20世紀の「特撮」を現在に蘇らせたこの撮り方はクリストファー・ノーラン監督『インターステラー』が始めたもので、同作のスタッフが『ファースト・マン』にも参加している。また、月面シーンは空気のないクリアな映像を表現するために解像度の高い70ミリIMAXフィルムが使われている。
 69年当時のテクノロジーは、『ファースト・マン』の映像だけでなく音楽にも活かされている。まず、チャゼル組のジャスティン・ハーウィッツはメインの楽器に、60〜70年代のアナログ・シンセサイザー、モーグⅢcの復刻版と、EMS VCSを使い、それに磁気テープを使った60年代のディレー・マシン、エコープレックスでエコーをかけた。

 さらに、ストリングスやブラスを加えて、レスリー・スピーカーで再生した。これは木製の箱の中で高音用と低音用のスピーカーがモーターでそれぞれ別々に回転することでドップラー効果を利用して音を細かく震えさせる装置で、通常はハモンド・オルガンと組み合わせて使われる。ハーウィッツはこれで音に不安定なゆらぎを与えて、不安と緊張を表現した。
https://youtu.be/cjXjGcb7pVM

 また、クレーターのシーンで女性のハミングに聞こえるのはテルミン(テレミン)だ。1919年にロシアの発明家テルミンが作った世界最初の電子楽器で、2つのアンテナの間で手を動かして演奏する。

 https://youtu.be/w5qf9O6c20o

 テルミンを使ったのは、実際にアームストロングがアポロ11号に持ち込んだカセットテープで、テルミンによる曲「ルナ・ラプソディ」(47年発売)を再生した事実にインスパイアされたらしい。「ルナ・ラプソディ」でテルミンを演奏したサミュエル・ホフマンは『地球が静止する日』(51年)などのSF映画のためにテルミンを演奏した。50〜60年代の映画やテレビでは、宇宙や幽霊が出てくると必ずフワフワしたテルミンの音が流れていた。

https://youtu.be/NieyLDdZUDA

 テルミンの音は『ファースト・マン』では、アームストロングの2歳で亡くなった愛娘カレンを象徴している。彼が事故や訓練で死を垣間見ると、一瞬、脳裏によぎるのはカレンの姿だ。彼女を追うように、アームストロングは月を目指し、細菌ひとつない完全な死の世界に到達する。亡き妻を求めて冥府に下ったオルフェウスのように。
 『ファースト・マン』には、月面に星条旗を立てるシーンも、凱旋パレードもない。代わりに流れるのは元祖ラッパーと呼ばれる詩人ギル・スコット・ヘロンがドラムのビートにのせて語る「ホワイティ・オン・ザ・ムーン」(70年)。俺たち黒人はメシも食えないのに白人は国の金で月に行きやがると皮肉った詩だ。このため、『ファースト・マン』はアメリカで「愛国的でない」と批判も受けた。
 アームストロングには、国など関係なかったからだ。何もかも捨ててドラムにのめりこんでいく『セッション』のアンドリューや、「大事なのは狂気」と歌った『ラ・ラ・ランド』のミアと同じく、彼もデイミアン・チャゼルの主人公なのだ。(劇場パンフレットより転載)