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トモミンプロフィール(ver.0.67)

山田トモミ
SNSコンシェルジュ
として
自分のゴールを加速して達成するために
個人・法人のSNS運営やサポートをしています

9年間で800人以上のSNSセミナーを全国開催
コロナ化で3ヶ月で80のオンライン講座
Facebookライブ配信を2020.4月より毎日継続中の経験を生かし

SNS&WEBタイムマネジメント術やSNSマインドコンシェルジュ講座
秋にはSNSジブンメディア講座の本格SNS実践講座を開催予定です

今はフリーとして活動していますが
10年前まではなんの取り柄もない普通の主婦でした。

東日本大震災をきっかけに離婚10年計画を立てて
平凡な主婦→債務整理→家出→セラピスト→離婚→SNSコンサル
昔の自分だと考えられない人生を過ごしてきました。

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一人会議の原点

1974年12月4日千葉県生まれ横浜育ち

AB型の一人っ子として生まれる。

小さい頃は引っ込み思案であまり前に立つことや
目立つことは苦手でした。

一人で遊ぶことの方が好きで

例えば石蹴りを3個もして家に帰るまで
実況をしながらそれぞれのタイプを決めて
一人で時間をかけて帰ったり。

誰かに相談をするというのも苦手だったので
何かを決めるときにも自分の頭の中に4人のトモミンがいて
会議をしていろんなことを決めていました。

自然と自分との対話をすること

当たり前の生活になっていて
それは今も誰かと打ち合わせをしてて
話している頭の中では同時に4人のトモミンが
常に会議で審議をしていてアイデアを出す、という
一人会議が自分の行動の元になっている
そんな原点でもあるのです。


そして何不自由なく育った・・と言いたい人生ですが
両親ともにギャンブル好きで
多分自分の想像以上の借金を抱えた家庭だったと
今になるとわかるのですが
表面的には心配しなくていいと
言われて育ってきました。

(生まれてすぐに横浜に引っ越してきたのですが
そもそもそれも夜逃げでと聞いたのは随分先の話)

誰しも自分の家が当たり前だと思っているけれども

・お年玉は自分が親からのお金を預かってるだけ
・そのうち返すという言葉は当てにならない
・欲しいものを言うと後でろくなことにならない
・だからお金やものはいらないと言っておけばいい


こんな思考が私にとってもごく普通の家庭だったのです。

物心がついて友達と話していくうちに
自分は普通の家庭とは違うんだ
だから自分の家のことは言っちゃいけないんだと
頭の中で自覚するようになったのです。

親には遊園地には連れてってもらえず
競輪場の遊び場で
一期一会の友達と遊んで
当たらないとガックリする
親の顔を見たくないから
どうかあの数字がきますようにと
そんなことばかり神様にお願いしていた子供の休日。

だから将来の夢は何?と言われても
そんなことよりも今日をなんとかしたい。


夢なんて持ったって意味がない。
将来に希望を持てない。
夢のない子として育っていったのです。

世界が広がり繋がる嬉しさ

高校時代はラジオ好きだったことから

放送研究部でDJや機材操作や映像作品を制作

校内案内やお昼の放送でアナウンスをしたりするのに
少し憧れを抱いていたのもありました。

それが男の部員が少なく
機材をやる人がいなかったので
やりたいとも思わなかった機材を
叩き込まれることに。

ただ説明書や機材の組み立てをすることが
意外と好きで夢中になっていったのと

アナウンス技術やトーク法も
この頃学んでいったことで
話すことに対しての苦手意識が
無くなっていったのです。

高校では放送委員長として
いろんな人たちとの繋ぎ役として
初めて表立って自分が前に立つようになっていきました。

大学に入ってからは放送研究部として
キャンパスDJとしてFM東京の番組に出演したり
他大学との渉外担当として活動したり
FM湘南ナパサの開局に関わり
スタッフや番組制作も担当

様々な人と繋がることやメディアのパワーを実感し
その魅力に惹かれていったのです。

ただ家庭のことの実情は
当時の友達や彼氏には
何も言えなかったのだけど。

お金は逃げていくもの

高校生の時にバイトができて
自分の欲しいものが買えると思い
給料日に意気揚々と家に帰ると
落ち込んでいる両親がいる
というのが日常の風景。


明日までに家賃を払わないと追い出されると
悩んでいる姿を見ればお金を差し出すし

大学で卒業旅行に行くために貯めていたお金を
直前で事業に失敗したと言われて
泣く泣くキャンセルした時も
友達に本当のことは言えなかった。

大学卒業後就職はしたがその翌年
1997年に結婚、翌年子供を出産。

周囲から一番結婚から遠いと思われていたが
当の本人が一番思っても見なかった展開。

でも結婚したらお金のことからは
ようやくそこから解放されるのかと
思っていたのに・・・

浪費家の旦那さんが
結婚してから車を何台分も借金をしていることを知り
食費をもらったことは結婚生活で一度もなく
お金がちょっと足りないと相談すると
「それで?」と言われるのみ。

とにかく自分の力でなんとかしないと
思うようになっていったのです。

お金は合っても自分の元からは無くなっていくもの
欲しがっても仕方ないし
持っていても私には関係のないもの

そんな考えが私の中で
自然と支配していったのです。


インターネットが私の世界を広げた

暇だった妊娠期間にHP作成を独学で覚え
(お金がもったいないから)

htmlやCGIを使って

子育て・テレビブログを書き始めるように。

そのスキルを生かしHP制作をしていく仕事も開始。
とにかく自分にお金を使う余裕がなかったので
セキュリティやドメインの設定も

独学で学んでいくように。

仕事が少しずつ増えていく喜びがあっても
周りは専業主婦でいて欲しい
わざわざ働くなんておかしいと言われる日々。

「俺だってそれぐらいできるから
そんなんでお金が稼げていいよな〜」
と言われ続けていたので

大した仕事をしていないのに
たまたま運良くお金がもらえる自分

というイメージはこの頃植え付けられていきました。

当時すぐに仕事をやめて子育てをしたので
周りの友達はみんなバリバリ仕事が楽しい時期。

一人だけ取り残された閉塞感が常にありました。

「自分って一体なんなんだろ?」
「子育てって向いてないな」
「なんでこんなに家事ができないんだろうな」

そんなことばかり考えていた時に
支えになったのがインターネット。

今では当たり前のことだと思いますが
家にいながらにして世界と繋がれる
インターネットの出会いは物凄い衝撃でした。


こんな私でも居場所があると
インターネットの世界にはまり
オンラインの母親サークルなどにも積極的に参加。

とにかく何の取り柄もない専業主婦なんだから
家事ぐらいちゃんとやってね
と言うことばかり言われていたので

「私は何をやっても無駄なんだ」
「価値のない人間なんだ」


そんな意識が常にある中
ある意味ネットに逃げていたのかもしれません。

多少今でいうと育児ノイローゼっぽいところも
あったのかもしれないと今になると思える時代。

ネットだけが私の生活のよりどころとなっていたのです。

SNSと出会って人生が変わった

2002年に第二児を出産し仕事復帰。

仕事を始めてからリアルで外の世界とも繋がり
少しずつ自分を取り戻していけるようにはなってきましたが
働くことはひたすら生活のためという思いは変わらなかったし
自分さえ我慢すれば周りはうまくいくと思ってたのです。

◆2003年ブログで人生初の炎上をする
当初はブログで主婦であることを前面に出していました。

とあるアイドルにもハマってブログを書くようになり
コンサートにもいくようになっていき
ブログもかなり有名な人気サイトになったのですが

「子供がいるのにライブに行くなんて」
「どういう神経をしているのか」

生まれて初めての炎上や中傷を受け
物凄いショックを受けてネットに失望して
アカウントを削除したりしましたが
ネットを辞めたいとは思いませんでした。

このことから自分の素性を話すことを避けるようになったのと
集中的にセキュリティやリテラシーについて猛勉強するきっかけに。

◆2005年にTwitter・mixi開始
初めてのSNSはTwitterでしたが
使っているという意識は少なく
知り合いの範囲内での
コミュニケーションツールとして
使用していただけでした。

それでも単純にネットで
コミュニケーションが取れたのと
自己表現の場として
日々の疲れた生活の支えとなってたのです。

◆2007年母親が亡くなる
今まで子育ての支えになっていた母親が
体調を崩してから亡くなるまでの2ヶ月という
あっという間の期間。

母親に頼っていた家事も行い
ワンオペ化が加速する生活。

おまけに母親の死によって
父親の自転車操業の借金生活が崩壊し
結婚後は見ないようにしていた
金銭トラブルが再び降りかかる。

気付いたら借金の保証人にされたり
クレジットカードを作られたりして
突然の借金返済に追われる日々。

一日5つの仕事を掛け持ちし、家事をこなす。
悲しむ間も無くがむしゃらな日々を過ごしていて
人生でおそらく一番忙しかった時期だった。

正直そのころの記憶があまりない。

劇的な環境の変化で
SNSがますます心の拠り所となり
依存するようになっていった。

◆2008年Twitterの利用を本格開始
小沢健二が何年かぶりに復活する
というのをきっかけにTwitterを本格運用。

知らない人とも積極的に繋がり
家にいながらにして
社会と繋がれるSNSの世界にはまる。

オフ会にも参加しはじめたのもこの頃。
立場や状況は関係なく関係性を築くことのできる
フラットコミュニケーションの楽しさを体感する。

それはある意味日常生活のストレスから
逃げる場所になっていました。

またネットでの情報収集でも
Twitterをフル回転し活用し始めるようになる。

◆2010年iPhone3GSを手に入れる
最初は無理やり持たされたiPhone
(かなり抵抗していたのです)

スタートしたばかりのinstagramに参加し
それまでは写真を撮ることに
全く興味がなかったのに
気軽に撮れる写真とアプリの魅力にハマっていく。

そして自分の写真にいいね!を押してくれる人が
この世界にいる喜びで
毎日3年間写真を投稿し続けていく。

当時はインスタグラムが
iPhoneでしか見れなかったため
Androidの人向けに
写真倉庫がわりに使用したのが
Facebookの始まり。

Facebook=ビジネスのイメージで
全く関係のない世界なので
自分のため使う気は全くなかった。

なので最初は顔写真も載せていなかったし
名前も旧姓を使用して隠しまくっていた
今で言うと残念な感じの人だったのです。

朝活とか意識高い系な人を横目に見つつ
羨ましいとかそんな感情よりも
私には全く関係のない世界だな〜
としか思っていなかったのでした。

怒涛の10年の始まり

◆2011年東日本大震災が全ての人生を変える
楽しいことは適当に楽しんで
何とかやり過ごして生きていけばいい。
そんな風に人生生きていくんだろうなと
ずっと思ってました。

子供を何とか育てていくために
自分が我慢すればそれでいいと。
人生を諦めていた人でした。
(当時はそんな風にも思ってなかったですが)

東日本大震災が起きて
元旦那の仕事に多大な影響を及ぼし
それまでの生活が一変しました。

今までと全く違く状況になり
「自分の人生めちゃくちゃだ」と
自暴自棄になる旦那さんの姿をみて

いい奥さんなら
傷心の夫を支えないといけないはずが

あれ?結婚してから私はすでに自分の人生を諦めて
ずっとめちゃくちゃで我慢の生活ばかりだったよ

と妙に冷静になったのを今でも思い出します。
そして次に思ったのが

別に我慢していても人生何があるかわからないのだから
自分のやりたい人生を生きよう

そう決意し離婚10年計画を立て
今でいう逆算思考で5年、3年、1年を立てることに。

そして同時にwordpressも独学で学び
HPを完全リニューアル。

しかしなんの取り柄もない私が
この先おばあさんになっても一人で生きていくためには
どうしたらいいか?と将来のことを考え

手に職が必要だ!と考えて
セラピストになることを決意したのです。

人生の終わりを考えた決断

お金の苦労はずっと続いていました。

結婚当時から元旦那からは
生活費も一切もらわなくなり
(仕事をし始めてからますます加速した)

父親の借金の問題も抱え
こんな僅かな主婦の稼ぎでは
どうにもならなくなっていて
クレジットカードにも手を出しまくり
自分の借金は増えていく一方

それでも何とか生活を保とうとすることが
もう限界に来ていたのです。

増え続ける借金の支払いは
側から見れば微々たるものかもしれないし
今だったら別の方法があったかもしれない

ただ当時の主婦でしかなかった自分にとっては
目一杯働いていてもうこれ以上は私には無理
このままだと夜逃げするしかないぐらいに
長年の金銭的な限界を感じていました。

そしてついに悩みに悩んで
債務整理を依頼することを決意したのです。

同時に思ったのが

あーこれで私の人生終わったなー

もうまともな人生を送れないのだから
だからもうますます勝手に生きようと
改めて決意したのです。

でも金銭的な負担は随分減り
精神的な余裕はかなり出てきたこと。

親が勝手に使っていたクレジットカードの返済が
戻ってきて結果得たお金で
スクールに通いはじめることもできました。

セラピストの師匠と出会ったのは
Google+というあまりない出会い。

SNSやネットを駆使していた先生だったので
いろんなSNSの話題でも盛り上がりました。

そろそろ資格も取れるという時になり
「山田さんSNS詳しいんだからこれからの時代
Facebookも活用したほうがいいよ」と
ものすごーーーく嫌だったのですが
仕方なくFacebookを本格的に始めることに。

とにかくなめられちゃいけない!!
そのために2週間Facebookを研究しまくって
これだけは自分ルールをして決めたこと

・自分のポジショニングを決める
・ある程度のネット知識はあるので何か困ったこととかはないので大丈夫です!というのを投稿でさりげなく示す
・自分の素性は明かさない
・自分のことは言わないで友達がどのぐらいできるのか?
・朝の変な挨拶習慣や呑気な朝活にはハマってられない、主婦は朝が戦場なのだから

(当時これが誰もがやる普通の対応だと思ってました)

そしてものすごい顔は出したくなかったけど
どうせ出すならちゃんとしたものを、と
プロフィール写真を綺麗に撮るために
自撮りの研究をしまくるようにもなったのもこの頃。

◆2012年セミナー講師デビュー
Facebook友達とリアルで会う機会が増え
オフライン交流の楽しさに気づくようになり
Facebookにどんどんハマっていきました。

ある時、勉強のためにSNSセミナーを受講し
あまりのレベルの低さに驚愕・・

えっ?こんなんで講師って言っていいの?

こんなんでいいなら私の方がまだ伝えられると
iPhone撮影セミナーを初開催

同時にリフレクソロジー&
ボディリフレの資格を取得して
本格的にセラピストの道もスタート。

当時働いていた会社がなくなり
有給が取れたことをきっかけに
初めてSNSの友達に会いにいく旅で関西へ

旅行の様子を投稿し続けた結果
かなりの反響があったことから
SNSでのコミュニケーションの凄さや
影響力を実感することに。

◆2013年活動をフル回転
セラピストとしての仕事を開始したのと同時に
セミナー講師としても活動を増やし始める。

セミナーでの反応が嬉しく
セキュリティやFacebookなど
数多くのセミナーを開催し始める

コラボセミナーなど
新たなチャレンジも行い、
講師としてのイメージを強めていきました。

当時バックエンドは?と言われてたのですが
そんなことは夢にも思わなかった
というよりもその言葉すらわからない
自分がいたのです。
(よくメンターは?という質問も聞かれたのですが
そんなのがあるのは社長クラスだけだと思ってたし)

ただセミナーをしたい!!
いろんな人に自分の知っている知識が喜ばれるのなら
それでいいじゃん!と。

だって自分は普通の主婦だし!!!
→周りには素性を隠していたので
のほほんと自由に一人で生きていて
OLをやめてセラピストに転身した人と
思われていたみたいですが

またiPhone女子部というサイトから
「iPhone撮影のコツ」をテーマに
初めての取材を受けたり

電子書籍「私と、青空と、ソーシャルと」で
モデルとして取材とコラムに協力するなど
活動の場が広がる

◆2014年セミナーを本格運営
SNSが1年間で学べる講座
「ともらぼ」をスタート

毎月徐々にファンが増え
イベント開始後すぐに満席になる現象が起き
リピーターも8割を超えるようになる

企業研修講師の依頼を受け
アプリ活用とセキュリティをテーマに担当
PTAでの保護者向け特別講座もおこなう

◆2015年セミナー全国開催
ともらぼ大阪・札幌・名古屋・尾道・福岡と
セミナー全国開催をし始める。

セミナー活動やSNSの交流は順調でしたが
この頃から離婚10年計画の本格的な
実践に入っていきました。

生々しいので有料記事でアップ

◆2017年離婚10年計画を前倒しで達成
大崎二人会という朝活を開始
今まで培ってきた習慣化や
情報整理・目標達成をテーマに毎月開催し
毎回数時間で満席になる仕組み作りを生み出す

DMMで「ともらぼオンラインサロン」
の審査に合格する(現在終了)

2018年コミュニティの楽しさを知る
「日本酒トモの会」「餃子トモの会」
というコミュニティを作り
150人位以上の参加になったことから
コミュニティ運営に力を入れ始める。

この頃からセラピストである自分と
SNS講師である自分の時間の使い方や生活に
限界を感じ新たな道を模索し始めていきました。

◆2019年フリーとして活動開始
好きなように時間を使って仕事をしたい
と決意しフリーとなって
「マノセラ」として活動を始める

同時に7年間の700人以上参加の
ともらぼセミナー定期開催を終了した

一人一人のSNSやWebの悩みを解決し
その人自身がやりたいことに集中できる
環境を提供する「SNS右腕パートナー」を開始

何のコネクションもない状態からのスタートで
個人・法人からの依頼が相次ぎ
半年で募集を一旦ストップという事態に

今までの集大成として
SNS活用×ITセラピスト×習慣化=年齢不詳
しかないと急に思いつく

年齢不詳は年を忘れて自分らしく生きる
ライフスタイルを伝えるワークをスタート

2020年
新型コロナの影響で
セミナー開催をオンラインで復活
3ヶ月で80講座を開催

オンライン開催のアドバイスや
サポートも開始するようになる

またライブ配信も始め、現在まで毎日実行中

これからのオンライン時代に向けて
会わないで自分のことを分かってもらうにはどうしたらいいか?

という点を改めて考え
タイムラインの重要性に注目

元々タイムラインを見ればその人となりがわかる
と即座に分析することを
自然とやっていた経験から

SNSの発信ばかりを気にするけど
まずプロフィールやタイムラインで
自分は何者かが全然伝わらない人が多いことを実感

「SNSでは何よりも設定が大事」

をモットーにしてきた経験から
SNSですぐに直せるポイントで
あなたのファンを作る仕組みを作り
楽に楽しく仕事に活用できる人を増やすための
SNSコンシェルジュ」を開始

苦手なことは得意な人に頼んで
自分のビジネスを加速させて欲しい
という想いのもと

SNSで深い豊かなコミュニティ作りの繋がりを通じて
お互いが健康で深い影響力を与え合う社会を
築いていくことを理念とし

デジタルとアナログの間を
飛び回る活動を続ける

2021年は
心(行動心理メソッド)×身体(ITセラピスト)×環境(SNSコンシェルジュ)
よくばりな人生を送る人を増やすことを
モットーに活動していきます

やりたいことを諦めないで全部やることができる人生に

SNSで自分の人生が変わった。
だから変わりたい人の人生を一緒にお手伝いします。

普通の主婦として、「何の取り柄もない人間」と言われ続け人生を諦めてしまっていた私を変えたのは東日本大震災でした。諦めていても当たり前の人生はない、それならばやりたいことはゼンブやれる人生を送ろうと決意した時にSNSとの出会いがあったのです。

SNSで活動することで、私の人生は大きく変わりました。「離婚10年計画」(実際は6年で達成)で目標設定を逆算して行動してきたこと。SNSがなかったら講師やSNSやWEBを仕事にしていることはあり得なかったし、10年前の私には到底信じられない姿でしょう。

現在、SNSコンシェルジュとしてSNSだけでは人生を変えれないと感じ、セラピストとして身体のケアやアドバイス、そして行動心理カード講師として前に動けないでいる人の行動の後押しをする自分攻略を組み合わせて、目標達成へのゴールを加速して達成したい多くの人のサポートをしています。

SNSは私にとってビジネスツールではなくコミュニケーションツールで、人生を変えられるツールでもあります。同じように自分の今の人生をちょっとでも動かしたい!変えたい!という人がいたらぜひ一緒にお手伝いさせていただけたらと思ってます。

◆SNSコンシェルジュ
自分のゴールを加速し達成するための
個人・法人のSNS運営やサポートをおこなう

SNS&WEBタイムマネジメント
SNSマインドコンシェルジュ講座や
SNSジブンメディア講座の本格実践講座を開催

Facebookライブ配信を2020.4月より毎日継続中
対談ライブなどライブでのファン作りの仕組みも伝えている。


◆ITセラピスト
”健全な身体に健全な精神は宿る”
サロン勤務10年以上の経験を生かし
コンサルサポートの中で
身体面のサポートもカバー
ITやテレワーク疲れの解消に特化した
コロナ禍のセルフケア講座も実施

◆行動心理カード講師
行動のブレーキの原因になっていたことが
「行動心理カード」を使うことで、
一瞬にして今まで自分の気づいてなかった
”行動心理”や”潜在意識”が視覚化し
読み解くことができ

今まで出来なかった事ができるようになり、
自分の力をフルに活かせる自分になります。

自分をフル活用できるだけでなく
相手の行動心理も紐解いていくので
無理なく行動に導くことができます。

ぜひ短期間で行動心理メソッドを学んでみませんか?


◆年齢不詳メソッド
”年齢で人生のブレーキをかけないで自分らしく生きよう”
年齢不詳の生き方を伝えることで
講座を受けるだけで5歳若返る年齢不詳メソッド


「日本酒トモの会」「餃子トモの会」
「築地本願寺カフェの集い」
「フォーティーナイナーズ〜1974年達と語る」
「SNS実践ワーク会」「clubhouse勉強会」
「T会〜人生を彩る30分」
などの各種コミュニティも運営

◎夢実現プロジェクトコミュニティマネージャー

【ビジョン】
SNSで豊かなコミュニティの繋がりを通じて
健康で深い影響力を与え合う社会を築いていく

【ミッション】
SNSでよくばりな人生を生きる人を増やす

【バリュー】
SNSの影響力は深さである
行動だけが人生を変える


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