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団地と防災と、小さく生きること

1月1日に起きた大地震。
今私がこれを書いている時も寒さに凍え、現実に呆然としているがたくさんいると思うと苦しさで胸が押しつぶされそうにもなる。
地震・火災がこうも重なると日本古来の神様が私たちに怒って訴えているようにも思えてならない。

いつどこで大地震が起こっても不思議ではない現実。
住まい選びは地盤の良い高台にを選ぶのが賢明であろう。
対して自分は築60年強、すなわち1981年以降の「新耐震基準」前に作られた建物、しかも川沿い。
「そこ住んじゃいけないじゃん」と言われたこともある。

自分の住んでいる団地の防災については、正直不安だらけである。
まず設備が整っていない。
引っ越してきた際に各階段に消火器が備え付けられていないことに驚いた。前の賃貸住宅では各階に消火器が設置してあったし、2fなのに非常時のスロープが備え付けられていた。建物崩壊よりも火事になった場合の逃げ道がないのが心配で、避難用ロープと消火器はすぐ購入した。
かといって近隣同士のつながりもないので、つながりでどうにかなるとは全く思えない。

それでも災害不安からの理由で引っ越そうとは思わない。
身体上、ここまで生きてこれたのが奇跡なので、何が何でも生き残ろうとは思わない達観があるし、都内に勤務・居住する限り、どこで会うかわからずリスクが大きい。

それに足が日に日に悪くなってしまい、帰宅困難時に都内から自宅まで絶対に歩けないのも、もはや致命的。
先日は日比谷から銀座線に乗るまでの地下鉄通路を歩くのもしんどく、途中でうずくまってしまった。銀座の中心にはベンチもないので休み場所に困った。バスや電車を待っている間のベンチが案外なかったり、社会が人にやさしくないことも身をもってわかってきたところだ。

旅先も同じく、現段階でも新幹線や飛行機を使って地域には行けているが、
なんせ歩ける距離に制限があるので地域内での行動も限られるようになった。
本当はとってもとっても悲しい。
自分のライフワークとしては致命的である。

そんなことが重なると仕事や所用以外は都内をふらつくということがめっきり少なくなり、歩ける範囲、自転車で行ける範囲で過ごすことが多くなってきている。若い頃ぼんやりと思い描いていた、老後のような生活だ。

そんな自分だから能登の地震について「何か自分ができること」は少ない。
ボランティアとして手伝えることも、知識も何もない。
落ちついたらお世話になった七尾の醤油屋さんで醤油をたくさん買おうとか
何か役立つシーンがでてきたら、全力でその機会を掴み、携わろうとは決意しているが(それは数年後、10年後かもしれないし長期スパン)
今も、きっとこれからも、自分ができることをとても小さな範囲でやるだけだと思う。

これからどこへ行っても、身の回り、小さな範囲の小さなしあわせを見つけて日々を生きる。それが「小さな経済圏」「地域経済循環」ともリンクしている。自分の目標でもあるし、これからの生き方なんじゃないかと思う。

団地での初冬。団地の窓から見える冬の夕暮れは美しいです。あ、団地じゃなくても見れる自然の美しさ(写真)。
空が大きく見える、夕暮れから夜になるなんとも美しい空の色の変化を見れる、月をゆっくり眺められる、だけでも幸福度ってだいぶあがることを日々実感しています。こんなことが小さな、でも心を満たす大きなしあわせのひとつ。



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