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団地暮らしがタワーマンションのコミュニティについて聞いてみた

私が団地を選んだ理由の一つは、「コミュニティが生まれやすい、かもしれない」ということ。コミュニティ研究の視点でもあるけれど、引っ越し前の数十年、近所のつながりがなかったことに限界を感じたことにある。

これまでぼんやり寂しいなあとは思っていたけれど、日々が生きているだけで精一杯の数十年であり、そこまで考えが及ばなかった。
だけれどコロナ禍で状況が一変。リピートするお弁当屋さんやカフェなど「お金を払うところに行かない限り、話もできない」という生き方を深く反省した。関係性はなくても生きていけるけれど、これからは足元にある繋がりが大事だと。真鶴で暮らす人の、良い距離の良き関係性を見てきたことも大きい。

とはいえ「つながる機会」というのは、団地だから起こる、起こらない、のではない。
特にマンションは一つの集合体でもあるし、管理組合の集まりや大きなマンションなら催しもあるだろうし、何より経済力も同じような人達で価値観も共通するところも多いだろうし、繋がりやすいのではないか?とマンション住まいをしたことのない私は仮説する。一方で、これまでの私のように周囲との関係性をむしろめんどくさいと思う人が都内の場合、大半であろう。

マンション住まいのたちはどんなきっかけで繋がったりしているのだろう。どんな機会があると繋がりやすいのか。数々のマンション、団地の向こうに見えるタワーマンションを見ながらぼんやりいつも思っていた。

週末、ちょっとしたホームパーティにお呼ばれした。
集まった仲間は、とある地域の仕事を通して知り合った、10年来のつかず離れずの関係の、女性計4人。
私を除くお三方は各方面で活躍されており、都心のマンションや区内の閑静な住宅街のマンション、ひとりは湾岸エリアのタワーマンションに住む方。

集まった場がご自宅(区内の閑静な住宅街のマンション)ということもあり、私の団地話をあれこれしながら(よくもまあこの場で話せるもんだ・・)それぞれのご近所さんとのつながりについて聞いてみた。

①都心のマンションで暮らす方は、年月を経て徐々に顔見知りが増えていったという。ゴミ捨て場で、エレベーターで、必然と挨拶する回数が増える。
何よりも大きいのは飼っている犬の存在。散歩でワンチャン同士の交流が生まれる。現在は犬好きな方のお店に自分の犬を預けたりもしているという。

これは子供や犬という共通項が媒体が交流のきっかけになるパターンだ。

②タワーマンションに住む方は、不動産会社が主催する子供向けのイベントやピアノリサイタルなど集まる場あるらしいけれど、自分たちはその催しとは無縁のため、今現在はつながりも求めていないよう。

とても参考になり、かつ素敵なお話だったのが、招いたいただいた方のマンション(区内の閑静な住宅街)の関係。
実は当日ケーキを頂いたのだが、それが階下の方の手作りで、私たち用にお願いしたそう。

手作りケーキと聞いていたけれど、シフォンケーキか何かと思っていたら、でできたのはプロレベル。ふわっふわの優しい味のするロールケーキで、見た目も愛らしい。
こんなことをお願いできるなんて、素敵な関係性。

ここ1年で美味しいケーキを作る階下の人含め同じマンションの3人と仲良くなり、ご自宅で持ち寄りお茶会もしているという。
そのきっかけというのが、階下の方がマンション共用スペースでの挨拶・会話から、ベランダ(最上階でベランダが大きく、素敵な菜園をされている)
に興味をもち、そのシチュエーションから「お茶しに、、、見に来ますか?」と家に招いたこと。
その方に同じマンションにもう2人仲良しがいて、今度連れてきて良いですか?となり、今度は4人で持ち寄りお茶会もしたそう。
後から聞くと、仲良し3人組が実はパーティをしたご自宅の、以前の住居人とも仲良しであり、内見に行った私の友人のことを「今度引っ越してくる方、とても感じのよさそうな人」と話をしていたと。そのこともつながりに影響しているようだ。

これは素敵なレアケースだけれど、お互いに横のつながりにある程度関心があり、かつ対応できる余裕があり、また複数の場合は繋がりが広がる「世話好きな人」「幹事役」の存在も大きいと思う。

今回ホームパーティをしてくれた友人は3年前に現マンションに引っ越してきたけれど、以前の住居に比べてマンションの人の感じが全体的に良くて、お互いに挨拶をする、エレベーターに乗る際もレディーファーストで譲られる、などという話をされていた。

ひとつの建物で良い循環。集まる人の価値観。興味ある人が興味ある人に反応し、関係性を築いていく。
そう考えていくと、住む地域、場所は自ら選ぶことの重要さを感じる次第です。

余談ですが、この良い循環の生まれているマンションのご自宅は、隅々までセンスの良さが光っていて、かつ心地よく、最上階の角部屋で2方面に大きな窓もあり光景も良く、本当に素敵な空間で、少しでも自分の知見に取り入れられたら、いつも隅々まで見てしまい、刺激を与えられています。
この素敵な空間の、素敵な時間の後に築60年の昭和過ぎる団地の自宅に戻ると、若い頃の自分なら比較して幻滅したはずなのに、「これはこれで別もので、味わい深いのではないか」と思っちゃうところが、私もやっと確立されたかも、と自己満足しているのであります(イっちゃってますかね?)

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