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そうだ 墓参り、行こう。 | サイドトラック放浪記

注)
張り切って筋道たてて書こうとか、完璧な文章で書こうとか思うと一文字も書けないってことがようやくわかったので、だらだらと取りとめもなく書くことにした。ということで乱文、誤字脱字ご容赦。

人生ではじめて自分をねぎらった

まあ仕事をやめたときはほっとした。ただただほっとした。
新卒で入社してから有給を消化するなど一度たりともなく(有給は使わないのが美徳という空気がながれていた。わたしはそれでも使っていたほうだ。先輩からは「君がきたおかげで有給を使うことへのハードルがさがったよ」と言われたくらいだ。)、限られた短い休みを最大限活用してリフレッシュに励んできた。休暇先でもケータイで毎日メールをチェックし、必要とあらば対応はしたけれど、休んでいてもケータイひとつあれば仕事に穴をあけずにすむのだから、ありがたいことだった。

ところが今回はみんなに迷惑かけまくり。ひとりでやっていた仕事も多いので、引継ぎされる側からしてみればいきなりの引継ぎになる。それでも、

「適当にやっておくので全然気にしないでください!」
「ずっとひとより頑張りすぎていたから休んだっていいんですよ」
「いつかこうなるんじゃないかと心配してました」
「仕事は一切忘れて、ケータイもパソコンも電源切っちゃってください」

思いがけない仲間からの温かく優しいことばの数々にまた涙がぽろぽろ。
仲間への仕事の引継ぎが終わり、マネージャーとのぎこちない対面ミーティング(従業員が心身を患ったときの対応マニュアルを必死に思い出している感じ)も終わって、自宅へたどりついた自分の口からでてきた言葉は

「はあ、、、やっと休める。もう仕事しなくていいんだ」

という言葉。そして

「よくここまでがんばってきたなあ、わたし」

という、はじめて自分に対してかけてあげたねぎらいの言葉だった。

御礼参りに参上した

そう、よくがんばったのだ。やっと自分ががんばっていたことに気づいてあげられた。そしてここまでがんばってこられたのは、信頼できる仲間や上司(昔の)、友人たち、そしてやっぱり親と御先祖様のおかげなのだ。

人並みをはるかに超える強靭な肉体をもってうまれ(大学時代に参加した臨床実験でそれは実証されている)、それと呼応するかのように強靭に育って行ったハートは自分ひとりで作り上げたものではなくて、御先祖様から与えられた唯一無二の財産。いつもお墓参りへいくたびに、現状報告や悩みを打ち明けていたりしたけれど、ただただひたすらここまでがんばってこられたことへの感謝を伝えたくなって、わたしは翌朝、駅前で明るいピンクのお花を買い込んでお墓へと向かったのだった。

※写真はグランドキャニオンの日の出(アメリカ)

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