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宇宙に寺を。byJapan

京都の醍醐寺が、宇宙に寺院をつくる計画を進めていると言う新聞記事を読んだ。

仏像(醍醐寺は空海の開いた真言宗だから、今回のご本尊は大日如来)や、曼荼羅(経典をわかりやすく説明する図解のようなもので、絹布や紙に描かれた。国宝もある→リンク)を衛星に収め、願い事をデータで搭載。

2023年打ち上げ目標。


醍醐寺は、
「地域や国の枠を超えた目線で平和や安全を祈る寺院が欲しい」と言う。

真言宗は大日如来をご本尊(信仰の対象)としている。
大日如来は日本では古来、天照大神と同一視されており、天照大神は天皇の先祖と思われていた。


複雑な気分になった。

日本にも世界にも沢山の神さまがいて、沢山の信仰がある。
そして、神さまは沢山いると思う感覚も信仰も、日本の成り立ちがあっての感覚で、決して”普通”ではない。
世界の人が、世の中には複数の神様が居ると信じたり思ったりしているわけではないし、信仰は自由だと思っているわけでもない。


宇宙に仏像が浮いている?廻っている?

想像すればするほど、なんだか滑稽で、笑いそうにもなる。まるでギャグ漫画だ。そして、何か仏教の美意識にも欠ける感じ。
と言ったら、醍醐寺は怒るだろう。

でも、この記事を読んだ最初は、なんとも言えない不安を感じたのは本当だ。
不安の理由を具体的に言葉にするのは憚られるような怖れの気持ちだ。

何か倫理に反しているような。


それに、
衛星も永遠のモノではないだろう。

宇宙のゴミについては、まだ、法律も取扱いも模索中らしい(宇宙関係の仕事をする父に聞いた話では、とても深刻な問題らしい。こういう新しい課題について考えるときと、倫理観が大切になるなーと心底思いながら父との会話を楽しんだ)。

これから、教会もできるんだろうか。


空の向こうが急に、自分の俗世になっちゃったみたいだ。

世界の平和を、京都の醍醐寺から願うのではだめなのかなー。

世界の人が、今まで通り何もない空を見上げられる方が平和な気がする。


宇宙計画はいつも夢に満ちていたけど、今回の計画はあまり楽しくない。

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