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正弦定理6

❏正弦:理:風
いつもだ。人はわたしを恐れている。
それが不愉快だ。
だからますます機嫌が悪くなる。

この女は違うかと思ったが、わたしが正弦だとわかると、案の定ビクビクしておる。
不愉快だ。

こんなに優しい人間はいないと思う。
巫女として懸命に生きておるではないか。
いったいなんだと思っているのだ。

「そなた」
「はい?」
「なぜそのようにわたしの機嫌をうかがっておる」

女はしばらく黙った。
「あの…恐れながら」
「なんじゃ」
「正弦様はとても怖いお方だと聞いております…」
「……わたしがか?」
「はい。機嫌を損ねたらそれはもう・・・」
「それはもう、何じゃ」
「……たぬきやキツネにされるかと……」
たぬきやキツネ……。
「そなたは馬鹿か」
「は?」
「人間をたぬきやキツネにして何が楽しい」
「はあ・・」
「可愛いだけではないか。わたしならもっと恐ろしいものにする」
「え!」
理という女はもっと怖がって、目を泳がせた。
おかしくなった。久しぶりにおかしくて笑った。

なんだ。この感覚。

久しぶりに人と話をしたような感覚になった。

「嘘じゃ。安心せい。そんなことしてどうする」
理は面食らったようだ。
どう接してよいのか伺っている。

そう、この気を使われる感覚がとてつもなく嫌だ。

あれは7つになったばかり。
急に頭の中で声が聞こえてきた。
『神社を造りて我を巫女とせよ。さすれば流行り病も治まろう』
そうして文明神社は建てられ、流行り病は不思議と治まった。それ以降わたしは民に気を使われるだけの存在となった。   
わずか7つのわたしは母と離され、代わりに幼馴染の定が遊び相手としてあてがわれた。

母は妹を生んだばかりだった。
妹とも母とも、それ以来会っていない。
そういえば・・
「理とやら。そなた、家族は?」
「え?わたしの家族ですか?」
「そうじゃ」
「わたしは1人で暮らしております。母の記憶はありません。わたしが幼いころ亡くなったとか。父は3年前に亡くなりました」
「ひとりなのか」
「はい」
「そうか。一緒だな」

理は何も言わなかった。
寝食を充てがわれているわたしとは次元が違うとでも思ったのかも知れない。
それでも・・・
ひとりだという、腹の底から湧き上がる思いがわたしにはあった。

心細くて泣きたい時。
わたしはわたし自身と遊んだ。
わたしはわたし自身に慰めてもらった。

これで良いのだ。
わたしは巫女だから。
正弦だから。
強くあらねばならないから。
民を導く存在だから。

➖熱い➖

胸がざわついた。
風が吹いた…ように感じた。

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