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インタビューについて〜会話が勝手に脳内再生されるくらい〜

先日、インタビュー記事を書いた。よくよく考えてみると、今まで「バトンズの学校」の受講生にしかインタビューをしたことがなかったので、これが初めての「外向き」のインタビューとなった。

といっても、相手は高校時代の友人だったので、初対面の人にインタビューするよりはハードルが低かったのかもしれない。

事前取材もインタビューをしている間もとても楽しかったし、「あれを聞いておけばよかった!」と後悔することもあったが、音源を含め、限りある資料の中で何とか記事を書くということにも、辛いながらも醍醐味を感じた。

実は何度も「本当に書けるのだろうか……」と不安になった。しかし何とか書き上がった時は本当に、最高に嬉しかった。とはいえ、上には上の書き手が天文学的な数字ほど存在することは分かっている。彼らに比べれば、まだまだ自分は足もとにも及ばないけれど、常に全力を尽くさない限り、その足もとに近づくことも出来ない。だから、とにかく精一杯書くしかないのだ。

音源を何度も聴いているうちに、面白いことが起きた。勝手に頭のなかで私とインタビュイーがテンポよく話し出すようになったのだ。それは、原稿に向かっている時ではなく、歩いているときであったり、お風呂に入っている時で、その会話を原稿に起こすのは、まるで自分が物語の書き手として登場人物たちの会話を書いているかのような気分だった。

私は今までに何度か、「小説を書きたい」と思ってきたし、ぼんやりと、自分はそういうものを書くのだと思っていたのだが、結局書かずに今に至っている。いまだに小説を書くのがどんなことなのかよく分かっていない。分かろうともしていない時点で、私は本当は小説なんて書きたくないのかもしれない。

ただひとつ言えることとしては、今回、インタビュー音源を何度も聴いて、その結果脳内再生される会話をパズルのように原稿の上で再構成することが、難しくも最高に面白いということ。そして、書くのは死ぬほどしんどいが、どうにか書き上がったときはこの上なく嬉しくて、感想をもらえた時も(それが例え悪い感想であったとしても)「本当に書いて良かった」と心から思えるということだ。

何もないところからお話を作り上げるわけではなく、頭の中で勝手に話し出す登場人物たちの会話を原稿にする。——私がやりたかったのは、物語を書くことではなく、こういうことだったのかもしれない。

なんて、実はこんなに能天気なことは言ってられなくて、まだ次の原稿を書かなくてはいけない。

ひとつひとつのインタビューに誠実に取り組んで、どんな音源だったとしても全力で書く。とにかく、出来ることをやり続けよう。

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