Post-it! 気になる一曲 『イギリス組曲 第4番 イ長調 BWV809 サラバンド』

ヨハン・セバスチャン・バッハ/作曲
アンドラーシュ・シフ/ピアノ
University Music School, Cambridge
1988年



バッハのイギリス組曲は第1番から第6番まであり、それぞれの組曲にすべて「サラバンド」と呼ばれる舞曲が入っている。イギリス組曲のサラバンドは、どれも美しい。なかでも私が一番好きなのが、第4番のサラバンドだ。

サラバンドに特徴的なゆったりとした三拍子のリズムが抑制された叙情を、ゆるやかな旋律や、たび重なる「間」が完璧なる静寂を感じさせる。

サラバンド(Sarabande)はスペインに由来する舞曲であり、はじめは速いテンポで踊られていたが、バッハはゆったりした形態のものだけを用いた。 〜中略〜 さまざまな文献から、当時の音楽家がサラバンドに「威厳」や「畏敬の念」を抱いていたことがわかっている。
『教養としてのバッハ 生涯・時代・音楽を学ぶ14講』(礒山 雅 他編著 アルテスパブリッシング 2012年)より

「はじめは速いテンポで…」とあるが、もともとのサラバンドに関して、別の本に以下のような記述がある。

サラバンドはもともと男性ダンサーによるソロのダンスです。その起源は明確ではありませんが、南米やキューバから来たものだとする説もあります。史実としてはっきりしているのは、16世紀にスペイン方面で流行した大変に官能的、内面的、肉感的な、美とスペクタクルのダンスであったことです。ダンサーに備わっているすべてのテクニックを披露する踊りで、そのあまりにもエロチックな要素がカトリック教会と皇帝の怒りに触れるところとなり、16世紀のスペインでは教会がこの踊りを禁止しました。罰として死刑が宣告されたほどスキャンダラスな踊りだったようです。
『正しい楽譜の読み方』(大島富士子 著 現代ギター社 2009年)より

こうまで印象が変わった事情とは何だったのだろう。とても気になるが、もし南米やキューバに起源があるとすると、ヨーロッパの人々は、サラバンドにエキゾチシズムを、ひいては「異国への憧憬」という物語を求めたのかもしれない。

イギリス組曲は、バッハのクラヴィーア曲の中では初期のもので、ワイマール時代(1708-1717)後期からケーテン時代(1717-1723)初期にかけて作曲されたそうだ。ケーテン時代については以下のような記述がある。

ケーテンは、アンハルト=ケーテン侯の小都。バッハはここで、音楽家としての最高位、宮廷楽長に就任する。宮廷がカルヴァン派であったため彼は教会音楽から離れ、すぐれた宮廷楽団を率いて器楽曲に没頭した。《ブランデンブルグ協奏曲》(BWV1046-1051)はこの時代に集成され、無伴奏のヴァイオリン曲や、《インヴェンション》《平均律クラヴィーア曲集》第1巻のようなクラヴィーア曲も書かれている。
『教養としてのバッハ 生涯・時代・音楽を学ぶ14講』(礒山 雅 他編著 アルテスパブリッシング 2012年)より

「イギリス組曲」の名はバッハによるものではないが、バッハの伝記を記したフォルケルによれば「ある高貴なイギリス人のために作られた」からということらしい。

シフの演奏は、高ぶることなく細やかな機微が感じられ、この曲に全く自然に見事にはまっているように思える。