余白を歩く 《思い出しグルメ⑫ 三鷹〜鳥武》

ダンナが生きていた頃、家族で行った店、行きたかった店。なくなってしまった店もあるけれど…。
思い出しながら、ぼちぼち語っていくシリーズ。



         * * *






地元民に愛される焼き鳥屋、三鷹の「鳥武」。トリタケさん、我が家ではそう呼んでいた。


「あそこの焼き鳥屋、行ってみようよ」


たしかダンナが誘ってくれたんだっけ。
まだ結婚前だったかもしれない。商店街には夏の陽射しが残っていたような記憶がある。戸を開けると、濛々と立ち篭める煙の中から酔客の上機嫌な赤ら顔が次々とあらわれた。


「オレ、青りんごサワー!」


パチパチ弾ける碧色の液体が運ばれてくるや否や、ダンナの弾丸トークの口火が切られた。焼き鳥はボンジリだったか。塩で食べるのが好きだった。


「焼きおにぎり、頼まない?」


お、いいね。ダンナの弾丸トークはいつまでも続いた。


子どもが生まれると店から足が遠のいた。ところがある日、トリタケさんが火事で焼けてしまったという知らせが飛び込んできた。驚いて見に行くと、焦げ落ちた壁にブルーシートが掛けられていた。
その後、トリタケさんはたしか中央通り商店街から近くの連雀通りで営業再開したんじゃなかっただろうか。ダンナがそう言っていたような気がするが、子育てやら何やらに追われていたのだろう、記憶は曖昧だ。さらにその後、連雀通りの区画整理の煽りを受け、吉祥寺方面に抜ける道沿いに店は移った。
もといた中央通りのトリタケさんの並びには、我が家も大好きだったラーメン屋の「一圓」、不動産屋、ハンコ屋、スナックなどもあったが、区画整理でみんな立ち退きとなってしまった。当時の風景を思い出すと、胸が締め付けられるように懐かしくなる。


再移転後、私はたまに行くぐらいになってしまったが、一度仲のいいダンナの姪と我が家全員で行ったことがある。2018年頃だったか。姪はニコニコし、私はしこたま呑みダンナと出会った宿命を恨んで呪詛を唱え、ダンナはニヤリとしながら青りんごサワーと焼きおにぎりを黙って口にしていた。店は黄色い電球の光に包まれていた。


亡くなる少し前、ダンナは息子とちょくちょくトリタケさんに行っていた、というのはあとから息子から聞いた話だ。夫婦の会話は、その頃にはとうに無くなっていた。ダンナは大して呑めない酒を飲み酩酊していたそうだ。それを聞いて胸が押し潰された。


仏壇に酒を供え、今日も酒を呑む。一缶で眠くなるようになってしまった自分が哀しい。
トリタケさんは今度はビルの建て壊しの憂き目に遭い、天文台通りの方に移ったそうだ。火事や区画整理、ビルの建て壊しにもめげず、しぶとく生き残っている。私は新しい店に行こうかなと思いながらも、なんとなく行けずにいる。