フランス旅行記 プロバンス篇 3
ルシヨン
ルールマランからさらに北へ向かう。エクスよりむしろアヴィニョンからの方が近いくらいのところにルシヨンがある。「フランスの最も美しい村」に登録された、人口1,200人の村。小高い丘の上にあるこの村はオークル(黄土)鉱脈の中心部にあり、その地質のために昔から栄えていました。ローズ色の色彩を放つ美しい土は、化学塗料がない古代・中世そして近世まで、多くの暖かい壁をつくり、リヨンの旧市街のような街々をつくってきました。
太陽のあたる角度によって、さわやかな淡いピンクから燃え立つようなローズ色にもそまるルシヨン。
近くには川が複数流れており、水源に恵まれていることから緑が多い。ルシヨンを訪れたとき、フランスにも松の木があるということに驚きました。多分に日本の松とは種類が違うのではないかと思うのですが、これほどの松林がフランスに存在するということはびっくりです。
ピンク、黄色、オレンジ。それぞれのグラデーションからまた色彩が生まれていく。天然の顔料であるオークル。やはり土は他人を癒す。建築物の壁を彩る美しい色。昔の採掘場も見学できるとのこと。
ルシヨンのねこ、毛づくろい中。
ヴェルドン渓谷へ行こう
翌日、エクサンプロバンスのツーリストオフィスのところから現地出発ツアーに参加し、ヴェルドン渓谷へ向かうことにしました。この渓谷はAlpes-de-haute-Provence県にある切り立った山々です。プロバンスはイタリアにも近いし、スイスの南端にも近い。朝、9時ごろから出発して約1日がかりでヴェルドンをまわる地元のツアーでした。お客さんはブラジルからきたご夫婦とわたしの3人。会社経営を子供たちに継承したご夫婦は、あらためてお二人の時間を取り戻しておられるとのことで、ゆっくりフランスを周られていると話しておいででした。ガイド兼ドライバーを務めるのはフランス人男性。エクス生まれのエクス育ち。みんな車に乗り込んで出発です。
ヴェルドン川は険しい山々のあいだを縫うように流れる。山地や山脈という言い方ではなく、高原(Plateau)と呼ばれるヴェルドン地方は、夏、避暑やキャンプ地としてたくさんの人々が訪れるところです。ヴェルドン渓谷(Gorges-du-Verdon)、Gorgesといのは「喉」という意味で、喉のようにすとんと切り立った山々があるということ。アメリカで言えばグランドキャニオンのような感じなのでしょうか。太古の昔、このあたりは海の中に沈んでいて、石灰岩や珊瑚など比較的やわらかい地質が積み重なり、地面が隆起した時代にアルプス地方と一緒に現在の姿となったそうです。どんどん細い道を上っていくのでやはり車で出かけて行ったほうがよい。
岩がほとんどむき出しになっている山々が連なる。日本ではこのような山を見たことがありません。山というよりは岩山。強烈なインパクト。土があって木々が生い茂るという感じではなく、本当に岩山。石灰岩からなる岩山。まだまだ渓谷までは遠い。これはほんの麓にある風景。
ムスティエ・サントマリーでひと休み
さて、ヴェルドン渓谷へ向かう途中にある小さな村、ムスティエ・サント・マリー(Moustiers Saint Marie)に着きました。この村は、フランスの「最も美しい村」に登録されているだけではなく、16世紀から、ムスティエ焼きという陶器で有名な村。特にルイ14世が宮廷で用いるようになってから、陶器として最高の名声を得ることになりました。ルシヨンのオークル(黄土)が街の壁を作ったのと同じく、プロバンスの大地はムスティエに伝統的な陶器づくりをもたらし、現在でもその伝統は受け継がれています。町にはローマ時代の教会。地理的にもイタリアに近い人口1,200人のこの小さな村はヴェルドン岩山の麓にたたずむ。
ローマ風な井戸をみつけた。
ネコお昼寝中
かわいい看板。
ヴェルドン渓谷が見えてきた
いよいよ渓谷に入りました。くねくねした細い道を車はどんどん登っていきます。石灰岩むき出しの山が続く。その山のあいだをヴェルドン川がながれています。ルネッサンス期には彫刻を施すため石の切り出しも行われていたそうです。
ヴェルドン川は渓谷を縫うように流れ、サント・クロワ湖(Sainte-Croix du Verdon)に流れ込む。ここでは水力発電もなされています。美しいターコイズブルーの湖で、湖畔がキャンプ場となっています。この色は湖に住むプランクトンと石灰岩によるものとのこと。渓谷をボートでゆっくりくだったり、釣りをしたりとそれぞれのアクティビティを楽しむことができますが、水温がとても低いのであまり泳ぐ人はいないという説明をガイドの人がしていました。
高原の休憩所でコーヒーを飲もうと、わたしたち4人は小さなカフェにいきました。すると50~60代と思われるフランス人10人くらいの団体客がすでにテーブルについていたので、そのとなりのテーブルにすわりました。団体客の大半は女性であったのですが、そのなかに2,3人男性がいました。そのうちのひとりの男性がわたしを見てこう言ったのです。「ああ、やれやれ、ほんとにこんな辺鄙なところにまで中国人がいるぞ。まったくなにもかにも食い尽くそうとしているぞ。」同時に団体客の視線が一斉にわたしに向けられました。彼はわたしがフランス語を理解しないだろうと思って言ったのでしょうが、捨て台詞のようにはっきり聞こえるように言ったので、驚きました。わたしだって、まさかこんな渓谷にきて全く知らない人にそんなことを言われるとは思ってもみません。まさしくどこからかぽーんと石がとんできて、かつーんと当たったような感じだったのです。
そこでこのように返しました。「ボンジュール、ムッシュ―、わたしは日本から来ました。若いころフランスで学び、充実した学生時代を過ごしたのです。時間はあっという間にすぎて、本当にひさしぶりにフランスを訪れています。では、よい日を。」男性はあわてて気まずい感じで「よい日を」と返えしました。
行ってみたいなよその国というけれど、1週間や2週間の旅行と、そこで暮らしていくというのはやはり違う。生活していくということはいいこともそうでないこともどちらも受け入れていくということなので、海外で暮らした経験のある人ならお分かりになると思うけど、知らずとたくましくなっていく。自由と責任。自分で選んでいくということ。実際この男性のような人は洋の東西を問わず、国を問わず、どこにでもいます。結局価値観や価値基準が常に自分の外側にあるひと。なので必要以上に彼の言葉に傷つく必要はありません。車に戻ると、ガイドのフランス人男性とブラジル人のご夫婦が「ブラボー、よく言った」と迎えてくれました。
それから。どういうわけか、わたしは海外にいくと中国人とみえるらしい。日本人と見られないし、韓国人とも言われない。東南アジアの出身でもないらしい。リヨンにいたころもよく中国人に中国語で話しかけられていました。ヨーロッパだけでなく、オセアニアに行った時もやはり同じ現象が起きていました。これはどういうことなのか。島国でも半島でもなく、大陸っていうことなのか。なんだかおもしろいなあということで、真面目に中国語を勉強したこともあります。中国人に中国語で話しかけられて、こちらも中国語で返答するけれど、やはりネイティブではないことがわかってしまう。わたしのアイデンティティは日本であると同時にオリエンタル(東洋人)でもあります。もっと大きく言えば、地球に住んでいるから地球人とか。だから凝り固まったものではなく、きっちり線引きされたものでもない。
語学についての才能はあまりない。どれも中途半端。語学というよりはその先にあるものに興味が向くのが常。たとえば料理。料理のことばは豊富でむずかしいものが多いけれど、作り方やバックグラウンド、素材についてもっと知りたいとなればことばはその入り口となるでしょう。
さて、プロバンスの旅も終わりに近づきました。帰りはエクサンプロバンスのバスターミナルから直通のバスにのってマルセイユ・プロバンス空港へ。マルセイユからミュンヘン経由で日本へ帰る。
いっしょに旅してくれてありがとう。また今度。またいっしょにどこかへいきましょう。
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