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カーテンの穴から見る世界。子どもの視座の変え方に学ぶ。


長女が8歳くらいの頃だったと思う。

当時は3Kの小さな家に、家族5人ひしめいて暮らしていた。寝るときも、2階のワンフロアに家族と犬猫が川の字になって寝ていた。

あるとき寝室の掃除をしていると、南向きの庭に面した窓の黄色いカーテンに、丸い穴が空いていた。

自然と開いた穴ではなく、明らかに誰かが火で繊維を溶かして開けた穴だった。カーテンが根性焼きをされたみたいで痛々しい。

我が家は実は火事に遭ったことがある。

家族で留守にしていたら、九州に住んでいる義父から「お前の家、火事だぞ」と電話がかかってきた。最初は九州の父がふざけてるのかと思ったが、急いで帰ってみると本当で、家の周りは通行止になっていた。

行ってみると、2階建ての小さな家の2階部分が燃えていた。

消防の方が色々と説明をしてくださったけれど、全く聞こえてなかった気がする。とにかく「今夜泊まれる場所はありますか?」と聞かれたことだけは覚えている。

科捜研の方の御尽力で火元はわかった。たたんでおいてあった布団の上に、電球が落ちていたらしい。ただそこから火事になるには、家中の布団の数倍の布団が上に乗っかるという、かなり非現実的なことが起こらないとそうはならないとのことで、原因不明、となった。

2階に置いてあった夫の大事なギターなどの楽器なんかは、見るも無残な姿になってしまっていたーー。

とまぁ、そんな経験があるので(火事の話は長いので、また別の機会に譲ります)、火に対して神経質にならざるを得ない。

長女を呼び出して「これ見て!一体何なの??」と怒鳴りつけてしまった。

めちゃくちゃ萎縮してしまった長女は、消え入るような小さい声で「小さな穴を開けて、そこから外を見てみたかったの。ごめんなさい」と言った。

はっとして、すぐに穴から外を見てみた。

小さな穴から見る庭や家々は、いつもの風景と全然違っていた。例えば、小人の国を覗いてしまったような、ちょっと異次元の世界を目にするような不思議な感じだった。

猛烈に反省した。そして長女に「こんなことを思いつくなんて、すごいね。めちゃくちゃ面白いね。でも、火事になったら怖いから、今度からはやめようね」ととってつけたように言った。

頭ごなしに叱るのは絶対にいけないとわかっていたのに、やってしまった後悔。何より子どもの発想を邪魔してしまったことへの申し訳なさ。自分に猛烈に腹が立った。

でも、それよりもっとガーンときたのは、子どもの斬新な発想力そのものだった。長女のようにどんなことしてでも視座を変えて世の中を見てみたいという熱意は、本来、子どもの頃は皆デフォルトで持っていたのではなかったか。枯れない泉のように湧いて出ていたんじゃなかっただろうか。

新しいもの、新しい視座を追い求めることが大人になるとなんだか億劫になってくる。子どもの頃に持っていたそれらの創意工夫やエネルギーは、一体どこに行ってしまうのだろう。

大人には、諦めないで「枯れない泉」を再発見する旅が必要なのだ。

だからこそ、音楽や文学、文化に触れる、特に自分とは異なる世界のものを受け入れ続ける工夫は必要なのだと思う。














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