敢えて白黒つけない。グレーでいることの大切さ
1997年に結婚したウチの夫婦、なんと今年、銀婚式を迎えました。
我ながら、よくやってこれたなと思います(笑)他人と暮らすってことは、えらく大変なことですよね。
「結婚生活の中で、自分で白黒つけられないことが辛い」と悩む友人から相談を受けたことがあります。それをきっかけに、「敢えて白黒つけないこと」のメリットを考えてみました。
どっちつかずの状態
ウチの夫は激しく天気屋で、コロコロ気が変わるので、例えば、週末にキャンプに出かけようと言っていても、それが温泉に変わり、映画に変わり、近所の洋食屋変わり、結局どこにも行かずにスーパーで買い物をして帰ってきた、なんてことがザラにあります。
最初は面食らったし、どうしてそんなに変わるのか、全く訳が分からなくて焦ったり憤ったりしていました。私自身はさっさと決めて動きたいほうなので。
ただ、その何も決まらない状態に引っ張り回されるのではなく、無視するのでもなく、見守るという態度になってから、多少楽になってきました。
そして、決まらない状態だから、何もできないのではなく、決まらない状態なりに、何かをする(掃除をする、片付ける、どこに出かけようと必要な準備をする、など)というように切り替えました。
子供の成長には
「優柔不断」はどちらかと言えば、褒め言葉ではないですよね。でも、昔どこかで「子どもの優柔不断は、決断をする練習をしているので、散々迷わせたほうがいい」と聞いたことがあります。
確かに、子どもはよく迷う。買い物に行っても、チョコかキャンデーかで迷う。絵本を読むか、絵を描くかで迷う。絵具かマジックかクレヨンかで迷う...。それに付き合っているとすぐに日が暮れる(苦笑)
しかし、子どもが自分で決めたものでないと、親の押し付けになってしまいます。そして、そこで親が短気を出して「これでいいじゃん!」と言って決めてしまえば、その子は結局自分で選び取った感覚が生まれず、達成感もないまま、やる気はグンと下がります。それが積み重なると、無気力で、自己肯定感の低い子になってしまう可能性大です。
大袈裟かもしれませんが、そういうときの親の「子供に決めてもらう」「どっちでもいいよ、とグレーな状態で待つ」という態度は、子供の未来を決めると言っても過言ではないように思います。
グレーでいること
生活のあらゆる場面で、決断に迫られながらも、諸事情により、すぐには決められない場面ってたくさんあります。白黒はっきりしたら、その時は安心するかもしれないけど、それは一瞬。次から次へと不安定なグレー要素がでてきます。
とはいえ、世の中に安定した確固たるものって、実はありませんよね。例えば、絶対安定してる気がする地面だって、単なる板で、地球の表面に浮いてるだけです。
毎日多くの細胞が生まれて死んでいくことを考えると、生き物が生きてるのはその白と黒ーー「生まれる」と「死んでいく」ーーのバランスの上なんじゃないかと思えてきます。
俯瞰してみると、細かな白と黒の「動的平衡」がグレーに見える。グレーだからこそ生きてるって言えるんじゃないのかなと。
生きる体力
グレーって、全部の色が混じった色なんだそうです。だからグレーでいるってことは、ある意味オールマイティということでもあります。
どっちつかずのグレーでいるには、かなり体力や気力を使います。なので、キープしていること自体難しい。でも、そういうことの積み重ねが、あとで振り返ると、いい思い出になっているのかもしれません。
結婚して一番進歩したのは、グレーでいられる耐久時間が長くなったことです。そのおかげで、「待つ」体力がついたことは間違いないなと(笑)