見出し画像

いたずらか、知恵と勇気ある行動か

長女が5、6歳の頃。洗濯物を取り込んで片付けようと寝室に行くと、タンスの一番上に入っている私のネックレスを取ろうとして、タンスを階段状にして、一番上まで登っているところに遭遇しました。

それを怒ることは簡単なのですが「階段状にしたら上まで登れる」と思い着いた智恵や、実行する勇気は大したもの。それに心から「すごいね」と褒めました。そして最後に「でも、危ないから気をつけようね」と言うと、その後は2度と同じことはせず、褒められた智恵や勇気の部分を伸ばそうと、違うチャレンジをしていきました。

子どもは結局は、親の願望通りに育つようです。「この子は意地悪ね」とか「ばかね」と言うと、本当にその「期待通り」育ってしまう。その代わり「それいいね」とか「よく思いついたね」と本気で賞賛すると、その褒められたとおりに成長します。

そこでミソなのは、どんな行為に対しても、心からいい!と思えるところを見つけ「本気で」褒めること。適当に褒めると子どもは「この親は機嫌とってるだけなんだな」「ちゃんと見てないんだな」と馬鹿にします。

同じいたずらでも、それに対する反応如何で、子どもの成長は天と地ほど変わってきます。

実は子どもにとっては、めちゃくちゃ怒鳴りつけられることも、褒められることも、感情のベクトルは正反対でも、集中度合いは同じと感じるそうです。むしろ、怒鳴られる方が、集中度が高いことが往往にしてあるもの(苦笑)。いたずらをして怒られると、集中してくれる、となると、もっともっと集中してもらいたいために、どんどんエスカレートする。親はそれを見て悪い子だとか、頑固だと言ってもっと怒る。子どもはそれを見て、集中度合いが高まっているから、もっと高めようとする...。悪循環の始まりです。

子どもの行為を表面的にとって場当たり的に叱っても、無意味どころか、結局は親が思っているとおり「悪い子」に育とうとし、本当の意味での信頼関係は育ちません。こんなに子どものことを思っているのに、あの子は全然親の気持ちをわかってくれない、となってしまいます。そうなると、お互いに必要とし、信頼したいのに、関係がゆがんでしまい、問題ばかりが起こります。もったない話ですね。

どんな状況でも、子どもには親や周りの大人の集中が必要で、それを得るために子どもなりに必死なのだと思います。もしいたずらが目立ってきたら、自分を見て!と言っているのだろうし、怪我が続くときもしかりです。

子育てには、このように行動の裏にある心や身体の状態を感じ取って、その都度嘘偽りなく真剣に対応することが大事なのだと思います。同時に、日々待った無しでその対応に迫られるため、自分の常識や思い込みを常に覆して行かざるを得ません。それには、モノの見方を常に変えて行く身軽さとしなやかさが要求されます。子育てしているようで、その実、親として、人間として鍛えられ、育てられる場でもあると思います。



 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?