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草木の種みたいに

草木は冬になって枯れ木になっても、
春になればまた芽が出る。

冬に体力を温存して春に一気に息を吹き返す。
草木にとっては冬は次なる季節の準備期間だ。

見た目は死んでいるようでも、生きている。
仮死状態といってもいいし、春になって生まれ変わるという言い方も出来る。

そう考えると、人間の死も、冬枯れと同じく仮死状態なだけなんじゃないだろうか。

次なる生命のための準備として、一旦死んだことにしておいて、
生き返ることのできる場所を、生命は探しているのかもしれない。

そしてここなら芽吹けるという場所を見つけたら、
生まれ変われる身体に宿る。

先祖崇拝は、自分たちのところにご先祖が帰って来れるように、
環境を整えてお待ちしています、という態度を示すことかもしれない。

種があっても環境が整わないと、芽吹いたり咲いたり出来ないのだから、
環境は大事だ。

***

中尊寺金色堂の藤原泰衡(第4代当主)の首桶から約800年前の蓮の種が見つかり、いまでも見事に花を咲かせるそうだ。
蓮は800年間眠っていただけで、死んだわけではなかった。
棺に種をそっと入れた当人は、そのことを知っていたのだろうか。

白雪姫や眠り姫などの童話が成立した背景にも、もしかすると本当に生まれ変わったという言い伝えがあったのかもしれない。

***

人が亡くなると誰でも悲しい。

でも、死は冬であり、いい場所、いい時節になったら、
生命はまた芽吹いてくる。

それが正しいか間違っているかは知らない。
けれど、誰もが死んでどうなるかなどわからないのだ。
だったら、なるべく自分の気の済むように考えたって、バチは当たらないだろう。

老い先短い両親のことを嘆いたり、亡くなった人のことをずっと悲しんだり懐かしんだりするだけでなく、土壌を整え、いつでもまた生まれてこれるように準備して生きていこう。

生まれてきた子が悲しまないように、これまで多くの先人が耕してきた生き様や、形にならない美しいものたちを大事にしながら。









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