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書くことが自分を救うのだから、書く習慣を取り戻そうと思う

タイトルらしくないタイトルだけど、自分の今の気持そのまま。

4月に第二子を出産して、自分の時間なんてものは意識することもなく生活をしてきた。半年も経つと、何もできなかった赤子が座れるようになったり、ご飯を食べ始めて、ようやく私の体か分離して、1人の独立した人間としてその存在を感じるようになってきた。

今は、育児家事を中心に、たまに少し仕事をしたりする毎日。平凡で単調な毎日なようで、相変わらずいろんな考えや感情が湧き出てきて、頭と心の中は忙しなく動いている。

特に何にも追われていないはずなのに、ここ最近焦りを感じながら時間が過ぎていたので、この状況を解消したくて、考えてみた。

仕事をしていた時は、毎朝机に座って、まず最初にジャーナリングをしていた。これが自分にとってはとても、とっても、とっっっっっっても大事だったことを再認識している。日々湧き上がっていることを、何かしらの形で出していかないと、流れが悪くなって、考えが気持ちが詰まったり、よどんでしまったりする。

そんな「よどみ」を感じ始めていたので、ジャーナリングを再開した。赤子の寝た隙に、少しでもいいから書き出す。その延長で、またnoteも再開してみようと思う。誰の役にも立たないかもしれないし、注目もされないだろうし、そこから何かに繋がることを期待するわけでもなく。ただ、書きたいことを書くという習慣を取り戻したいと思う。

外出もなかなかしにくいこのご時世、家に閉じこもって育児をしていると、どこからともなく孤独感のようなものが湧き出てくる。赤子はたまらなく可愛いけど、それとは別のところから、ふつふつとさりげなく、ふとした時に湧き出てくる。

私が今感じている焦りは、時間の使い方から生まれていることに気がついたので、時間の使い方を決めることにした。家事には時間の上限を設けないと、私の場合は無限に「あれもやらな・・・これもやらな・・・・あ、あそこにもホコリが・・・」という風に時間をかけてしまう。でも、家事には終わりもないし、退勤時間もないので、際限がない。だから、時間を決める。その時間内でできることだけやる。

そして、「育休中だから家事育児は自分が全部やって当たり前」という考えを持ってしまっていたので、夫に協力を仰ぐことを避けてしまっていたけど、これも孤独感を生み出すことに気がついた。「自分1人でやっているわけではない感」を自分が感じられるようにするのも大事だと気がついたので、なんでもいいから夫担当の家事を作ってもらおうと思う。

なんでもない毎日だけど、こうして色々感じては観察して、解決策が見つかったら試して。そんなことをやって、相変わらず人間の修行というのは続くものだな〜、なんてことを感じている日々。こうやって書き出してみると、なんだからとても暗い文章になってしまっている気がするけど、そのままでいいや、と思えるようになった。日常は笑顔で過ごしている。でも、今自分が書き出したいことは、こういうトーンで、こういう内容だっただけ。そのままでいっか、と取り繕う癖を手放せるようになったのも、また一つ修行が進んだ証拠かな。むふふ。

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