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ありのままって難しいよね

ありのままでいい、とはいうけれど

最近の流行でもある「ありのままでいい」というのは案外難しい。

それって「あなたが思う私の『ありのまま』じゃないの?」
で、「あなたが思う私の『ありのまま』」ってどんなの?教えて?

私だけでしょうか。そんなややこしい思考回路に嵌ってしまうのは。

私たち日本人というのは、至上命令的に親からこんなことを言われて育っていることが多いと思うのです。

「人の迷惑にならないように、生きなさい!」

でも、「私が思う『人の迷惑』って本当にその人の迷惑になっているのだろうか?」

だって、フランス人と話していると、「迷惑のツボ」みたいなのが全然違うのです。だから大混乱に陥る。

例えば
「人が何か話している時にはしゃべっちゃダメ。おとなしく聴いていなさい。話したい時には誰も話していない時にしなさい。」

日本人にとっては割と当たり前のことです。

でもフランスで複数の友達と話す時、この大前提が根底から大きくぐらつく。

「だって誰も話していない時なんて、ないんだもん!」

フランスでは、話すことは生きてる証明みたいに思えます。存在を認めてもらいたかったら、とにかく話すしかない。口をつぐんだら最後。壁の花ほどの価値も見いだせない。つまり存在しなくなります。

13年もフランスにいて、未だに大きく悩むのは、「いつ、どう話し始めようか」凄く難しいです。

話を中断させても悪いし、かといって黙っていると居る意味がないみたいになるし。

小さい頃、学校の校庭でやった大きな縄跳び。あれに入るのが下手すぎた私。いつもあの時の苦痛を思い出します。

縄が上にある時に駆けていけばタイミングがあうのか。あるいは下にある時にいくのが正解か。運動神経がよい人ならきっと悩まないそんなことも、私は悩んだ上、無理やりえいやで飛び込むので、タイミングあわず、縄を止めてしまって、大ブーイング。

やる前から分かっていたので、そんなに怒らないでくださいっていつも思ってました。

あれって縄跳び大好きな人からすれば「大迷惑」だっただろうし、そんなことをフランス人に話せば「別に誰も困らんじゃん」と言われるだろうし。

さーまた話がズレまくりましたので戻りましょう。

ではありのままとは、誰の思うありのままなのか。
そもそも自分の「在りのまま」が分かっていない私に、そんな難題をつきつけないで欲しいとすら思う。

でもそういうとこう返ってくるのです。「考えすぎ」

うーん、でもそういうところも「私」だと思うから、これもいわば「ありのまま」なんですよね。

それでいい、にしよ

彼氏からも言われました。ありのままの君でいればいい。無理しなくていいって。

それでまた悩んでしまったのだけど、今朝ふと思ったんです。
「それでいい」なら分かるぞ、と。

例えば何かを思いつく。

でもいいのかな、やっちゃって?

その時誰かが(あるいは私が)
「それでいい」
と言ってくれれば、やっちゃうと思う。

ありのまま、はよく分からないけど、
「それでいい」は分かる気がする。

でもうだうだ考えた後の思いつきって、大抵ろくなもんじゃない。
Aさんの予定、Bさんの思惑、Cさんの得手不得手、全部考えた上で「思いつく」訳だから、私の本当の思いつきからは歪みまくってる。

これじゃ多分「ありのまま」からは途方もなく離れてしまっているだろうから、最初の思いつき。これを大事にしよう。

という訳で、これからしばらく私は自分の最初に思いつきに
「それでいい。やっちゃえ」
って言ってみることにします。

多分それが、いわゆる皆のいう「ありのまま」だから。

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