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地球にキスする感覚

昨年末、突然わたしの中に舞い降りたアイディア
「ランジェリーメーカーを作ろう」というもの。

まだほとんど公にはしていないのだけど、
『Social Lingelie laulailo』
(ソーシャルランジェリー ラウライロ)という名前で、
仲間と共に活動をはじめている。

そこに盛り込むエッセンスはたくさんあるのだけど、
その中で ”循環“ は、ひとつの大きなキーワードになっいて、

「いま、この地球上で課題になっているのは、
すぐには地球に還れないように加工したものを作りすぎてしまったこと。」

=環境問題 という感覚でいる。

何が困り事なのか?と考えてみると、
本来、自然の一部として地球上に生まれ、死んで、土に還っていく・・
その自然なサイクルが、人間が手を加えることによって、
容易には分解できない形になり、地球の表面上にスタックされ続けてしまう、
それが ”ゴミ“ で “問題” なのだ。

だから、わたしが今はじめようとしているランジェリープロジェクトでは、
なるべく天然素材で土に分解できるものを用いて、
ランジェリー屋さんだけど、コンポストも一緒に売ろうかな?
などと、頭の中で妄想を広げている。

そう、大切なことは、
元々は全て「地球の一部」だった、ということ。

いま、わたしが向き合っているiPadも、テーブルも、エアコンも、
ペンも、セーターも、車も、家も・・・ぜんぶ、ぜんぶ。
全部、元は地球の一部だった。

そして、そんなわたしも、地球の一部。
土から芽を生やし、実ったもの、育ったものをいただいて、血肉にしている。

わたしの中にある60兆個もの細胞たちは、
すべて、地球からの恵みが、形を変えて、いまそこにいて、
そして新陳代謝によって、交換され、汗や糞尿、垢、爪、髪の毛などになって、
地球に戻っていく。

ということは、わたしの家族も、あの人も、この人も、
みんなみんな、地球が形を変えて、いま生きて、存在しているということ。
生成と消滅を繰り返し、だけどいま、そこに命を宿して、形を持って存在してくれている。

あぁ、すごい発見だ。

そんなことを考えながら、
ある日、ふと、お茶を飲もうと マグカップ に口をつけた瞬間に・・

「そうか、いまわたしは、昔 大好きだったあの人にキスしているのと、同じことなのか。」
「だとすれば、わたしは、あの人にも、この人にも、地球にも、小鳥にも、
いま、すべてのものに口づけしているのと同じことだ!」

と思ったら、だーーーっと涙が溢れて、止まらなくなった。

「あ、なんかわたし、いま、やばい人かも(笑)」

そんな風に、自分のことを客観的に冷静に見る自分も現れたけど、
この事実を、身体の感覚を通して理解できたことが、嬉しくて、嬉しくて。

そんな風に思えたら、自分の周りの景色が変わって見えるようになった。
  (いつもじゃないけど)
「あなたは わたし、わたしは あなた」とか、
「みんな、深いところではつながっている」とか、
「ワンネス」とか、いろいろ言うけれど、
前よりも、その感覚がわかるようになってきた気がする。

そうすると、自分の行動に注意を払うようになる。丁寧になる。

だって、自分の身の回りにあるものを、粗雑に扱うことは、
自分にとって大切な人たちも、地球も、
雑に扱うのと同じことになってしまうような気がするから。

「大切なものを、大切にして生きていきたい。」

そう願うとき、その大切にしたい対象にジャンプして跳んでいくのではなく、
自分自身の内側に水滴を落として、その波紋をひろげていくことが、
結局のところ、最も着実に、その対象を大切にできる気がしている。

見てみたい未来についても、同じこと。
「こんな未来になるとよいな。」へジャンプすることは難しい。
それよりも、“ありたい未来を体現する”一日一日を積み重ねていくことが、
本当に望む未来を、創っていくことにつながっていく気がしている。

長くなったので、今日はここで おしまい。

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