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名もなき家事

最近の出来事です。
何だかこれまでと違って、いつもより気持ちに余裕があるような…何でだろう…そう思っていました。
いつもと同じ時間に起きて、いつもと同じ家事をこなしているだけなのだけれど、それでも何だか気持ち的に「楽」を感じている。そのことが自分でも不思議でした。

そしてある時に、それが何故なのか、気付けた瞬間がありました。それは、毎朝の娘の体温測定と用紙への記入作業でした。

娘は今、小学三年生なのですけれど、コロナウィルスの影響で彼女が幼稚園年長さんのときに、事態は一変しました。
各行事やイベント、様々なことが出来なくなって、楽しみが一つ一つ消えてゆきました。

あれから、丸三年になります。

その際、各家庭に義務付けられたのが、毎朝の検温と専用用紙への記入と提出でした。(幼稚園ではオンラインで報告、今の小学校では直接用紙に記入でした)

単純なことです。

ただ、朝に体温を測って記入をし、他の症状がないか確認。
該当するものがあればチェックをつけて、出席停止かどうか判断する。該当事項があれば学校へ連絡をし、連絡袋を近所のお友達に持って行ってもらえるか連絡する。
……細かく挙げたら切りがありません。

そうです、ここ、だったのです。
名もなき家事があって、一つ一つは単純な作業なのに、それが一連の行動となって大きく感じていて。義務であって、それを怠れば他所様にも迷惑を掛けてしまう。

知らず知らずのうちに、どこかプレッシャーになっていたのかもしれません。やらなければならないことであったし、それが義務としてあった訳ですけれど、そこに名前なんてものはなくて、「とにかくやること」になっていました。

考えてみれば、この名もなき家事というのは幾つもあって…
今回のこと以外は、締めるのも緩めるのも、自分次第のように感じます。今回、コロナウィルスがインフルエンザと同様の第5類に位置付けられたことで、毎朝の検温、用紙の提出義務が無くなりました。

たったそれだけのこと、だけですが。非常に開放感を感じずにはいられないのです。まだまだ、注意を払わなければならないことは当然ありますが、コロナ禍で変化した生活から、また元の生活に戻れた喜びを、名もなき家事の中から実感したのでした。

子どもたちにとっても、失われた三年間の楽しみを、これから存分に味わえる日々に期待しながら、私も緩急つけながら家事や育児に向き合っていこうと改めて感じています。

そして、私がこんな小さなことで喜びや開放感を感じたのであれば、医療機関やその他、様々な場面で厳しい状況を強いられた方々の苦労を感じずにはいられませんでした。
私は頼るだけの側の人間でしたけれど、頼られる側の方々の心労と気力の限界は切実であったと、改めてその存在の大きさと心からの感謝の気持が沸き起こりました。

様々なことがあった三年間。
様々なことを学んだ三年間でした。




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