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同じことは何一つないんだということ


同じ親から生まれても、
何でこんなに違うのかしら
同じように育てたつもりなんだけどと。

昔よく母が言ってた。

どうしてあんなふうになっちゃったのかと
姉を見てよく漏らしてた。

私は二人姉妹で、7つ上に一人姉がいる。
まあ、なんていうか、、

人に厳しいひとというか。
自分のことはするけど人のことは
しないというか。徹底してる感じ。

例えば、家族で暮らしてて、
お茶碗がシンクにあっても、自分の分
だけ洗って、他のは洗わないみたいな。

それを見て、母がいつも、、
一緒にやってくれればいいのにと
言っていた。

そんな姉とは結婚後家を出てから
10年以上会ってなかった。

お互い特に連絡することもなく。

連絡したのは、母の状態が
思わしくなくなってから。

要介護度を決めないとあかんというところまで来てしまってた時に、久々に集まった。
もうあれは2年前になるのか。

そこから包括支援センターへ相談へ行き、
ケアマネさんがついて、自宅介護で
父が介護していた。
そこから一年半くらい経った
そして去年、9月末に父が倒れ
帰らぬ人となった。

そこから、LINE交換し、
相続、母の特養の件で
連絡を取り合ってる。

ある意味人生における
一大プロジェクトだ。


姉と私の性格は正反対だ。
そして性格的に合わない。

姉は基本的に周りに合わせない、
マイペースでもあり、協調性はない。
常識には厳しい、お金にも厳しい。
だけど、決めるのも苦手
という感じ。

私はどちらかというと、
周りに合わせるのが得意、
やらなきゃなことは結構、
スピード持ってやる方。
さっさと決めたい。
協調性はあるけど、
合わせすぎて自分が疲れる。
繊細だから結構人の一言一句に
やられやすい。

だから、相手のこの、、ペースに
イラッとしたりする、、、

捨てるのとか苦手だしね、、

とまぁ、同じ数秘3で、水瓶座でもある
姉妹ですが。やはり全然違う。

この前納骨を済ませた時に、
姉が言ってたんです。

30年ぶりくらいに墓参りにきたから
車止められるとかわからなかったと。

ああ、そうか、結構ずっと来てなかったんだなぁと。私自身は結婚してからも、旦那さんに頼んで車できてもらってたのです。
年2回はお墓参りしようておもって。
無理な時もあるけど、春と秋のお彼岸に
なるべく行ってて。

その時にね姉が言ったんです。
子供の時は年2回お墓参りしてて、
鎌倉にある霊園なのですが、
駅からもかなり離れているんですが、
ハイキングがてら
結構な距離を歩かされて毎回。

何なら鎌倉の峠を越えさせられたり。
そんなこともあり、まあまあ、
子供にはかなりハードな、、
お墓参りでして、、、
車持ってないので、バスで途中まできて、 
そこからひたすら歩く
→近くまで行くバスもあるけど、
父が歩くのが趣味だから、
ひたすら歩かされるていう、
苦行でもありました笑
時には10キロとかね。
普通に歩いたよね→子供でしたけどね。

大変だったけど私は意外と好きで。
でも姉の中では、嫌な出来事として残ってるてのが、わかって。

ああ、同じことをしても、受け取り方は
人それぞれなのだと。

そしてそれは、親子でも兄弟でも
たとえ血が繋がっていたとしても
違う人間だから、感じ方も受け取り方も
違うのだなぁと。

改めて感じました。

私はプラスに。
姉はマイナスに。

一つの出来事でも大きく変わる。

過去がどうであれどうみるか、
て、大事なんだなぁと。
そして、それは今からでも書き換えられる。

嫌なものとして残しとくのか
あれは父の趣味で大変
だったかもしれないけど
みんなでいけて、楽しかったなーとか。

ておもうと、家族といえども全く違う
生き方の集合体なんだなぁと、

だから会わなくても当たり前だし
あえばラッキーだし。

私は私の見方があり
姉は姉の見方がある、

違いすぎてなかなか大変ではあるけど。
だから、相手の言うことで
一喜一憂しなくていいし、

あーそう思うんだねて、
受け止めつつも、受け流せば
いいんだと今更笑

あの頃嫌われたら生きてけない
私ではない。

もちろん力をあわせて
やらないといけないことなので
相続に関してもそこはもう
腹を括って、やるけど。

これもまた、人生勉強なんだなぁと。
親の死後、相続を通して感じてます。

ようやく相続も先が見えてきたので
少しずつ相続やら特養についての
記事を書いていこうかなと。
有料記事にしようかと思ってます。

必要な人に届くように。

いつも読んでくれてありがとう。


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