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台湾映画「流麻溝十五号」


「1953年、あらゆる自由が制限されていた白色テロ時代の台湾で
語ることをあきらめなかった彼女たちの物語」(チラシより)

映画「流麻溝(りゅうまこう)十五号」を観てきました。

魯肉飯、タピオカ、豆花、今の時期だったらマンゴーかき氷。美味しいもの天国。道に迷ったり、食堂で注文の仕方にまごつこうものなら、どこからともなくおばちゃんが現れてあっという間に助けてくれる、台湾。デジタル先進国、台湾。
このお盆休みもきっとたくさんの日本人が台湾旅を楽しんでいることでしょう。(羨望)

台南のマンゴーかき氷

白色テロって?

そんな台湾に、自由な思想を持つことが許されなかった「白色テロ時代」があったことをご存知ですか? 
私は初めて台湾旅行に行ったときには全く知りませんでした。何しろ日本が50年(1895-1945)台湾を統治していたこともきちんと知らなかったくらいでしたから。
映画では、日本語で教育を受けていた女性たちが日本語を話す場面がたびたび登場します。

台湾の「白色テロ時代」とは、1947年(1949年とも)にはじまった国民党の恐怖政治の元で行われた言論弾圧のこと。
映画のパンフレットによると,逮捕者数はのべ2万9407人、そのうち約4500人が処刑されたとされています。戒厳令が解かれる1987年まで約40年続きました。

1987年といったら、私にとってはついこないだのこと。あまり言いたくないけれど、すでに大学生でした。この年のヒット曲は中森明菜の「難破船」ー。日本はバブル前夜の浮かれた時代。

1953年、緑島にて


「〈自由な思想〉を持っただけで政治犯として、ある島に送られたー(映画のチラシより)」

映画に描かれているのは、そんな白色テロ真っ只中の1953年のこと。(ちなみに来週の「虎に翼」は1955年頃の話)

「思想犯」として、離島・緑島に送られた女性たちの物語。重労働や思想改造という過酷な生活の中でも、心をかよわせ、心の自由を守るために、必死で日々を生きる姿に心打たれます。
映画のタイトルは、監獄のあった住所だそうです。

映画のパンフレットによると、当時は出版物の検閲や集会結社の監視が行われており、読書会に参加しただけで「政治犯」として投獄された人もいたそうです。

もしも私が当時の台湾人だったらー。
命がいくつあっても足りません!
登場人物の一人も、絵が得意でポスターを描いただけでスパイ容疑をかけられ、訳も分からず連行されたまだ幼さの残る高校生。

これ以上はネタバレになるので控えます。

重いテーマ、しかも実際にあった出来事となると、ビビりの私は観るのに少し勇気が必要でした。予告編はちょっと怖すぎるかも。
でも、思いきって映画館に行って本当によかった!
辛い物語なのになぜか後味は決して悪いものではなく、誰かと分かち合いたくなる作品でした。

沢村貞子さん

自由な心が許されなかったのは、台湾だけではありません。
日本でもそれが許されない時代がありました。そう、戦時中のこと。

例えば『私の献立日記』や『私の浅草』で知られる昭和の名女優 沢村貞子さん。
日本女子大に入学後、演劇活動をしていた23歳(1931年)「治安維持法」により逮捕され、合計1年8カ月もの間留置場にいたそうです。

愛読書

歴史を振り返っても、庶民が自由な心を持てたり、行動できるのは当たり前のことではなく、時代や法律、権力によってあっという間に奪われる儚いもの。

好きなものを食べて,やりたい仕事を目指せて、読みたい本を読んで、言いたいことを言い合えて。
このささやかな自由な心を守り続けるためには、どうしたらいいか。大きな力に持っていかれないためには、どうしたらいいか。

立ち止まって考えなければならないと思っています。

*この映画を知ったのは,近藤弥生子さんのVoicyでした。





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