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心の広さ、、とは。

「ゆたかさ」とは、心の広さではないだろうか。

豊かさ=豊富であったり裕福であったりする度合いのことを幅広く指す表現。「豊か」の度合い。

豊かさという言葉を調べてみたら、上記のように表示された。幅広すぎだなぁ、笑

お金、言葉、感情、食物、自然、衣類、楽器の種類、、などなど、いろいろなことに当てはまる。どれも大事なものには間違いない。ただ、最近は「ゆたかさ」と言われると、お金のゆたかさのことを言っている気がしてならない。(そうなると私はゆたかではない、笑)

お金があったらゆたかなのか。

お金があれば住む場所、着るもの、食べるものに何不自由なく暮らすことはできるだろう。たくさんの部屋がある安心して暮らせる大きな広い家、自分を着飾るたくさんの洋服とバッグやシューズ、好きな時に好きなだけ食べられる食材。確かに、あるに越したことはない。

でも、それって、今の私にはそんなに必要ない。あるに越したことはないけど、それ以上に、この人はどういう人なのかな、って考える方が大事だな、って思う。それゆえ、この人は、こういうファッションが好きでこういう物を購入するんだな、っていう考え方の助けになってることは確かなんだけど。


だけど結局、ゆたかさって、心の広さだと、私は思う。

人を受け入れる余裕があると、心が平穏というか、静か。

余裕がない時って、心がざわざわする感じ。落ち着かなかったり、もやもやしたり。イライラしたり。

余裕がない時は、一つのことに執着してしまいがち。一つのことが気になるとそればかりになってしまう。偏ってしまう。偏ると、考え方も凝り固まってしまう。それゆえに、違う考えの人を批判したり、きつい言葉をかけてしまったりもする。

だから、時々、自分の心の状態をゆっくり見る時間を作っていて、思いは全て、ノートに書き出している。常にフラットでいられるように。

この習慣、今続けて1年経つけれど、私にはすごく合っている。不安やイライラも全て、もう出ないよ!っていうくらい書ききる。

自分の感じる、不安やイライラは良くないから、そんな考えを持つ自分は最悪な奴だ、って以前は思ってた。

自己肯定感がかーなーり、低かった。

でも、自分を受け入れていないと人も受け入れられないし、認められない。自分で自分を受け入れないのに、なんで人に受け入れられると思ってるの?と言われた時に、そうだよね、って思った。そりゃそうだ。

結局、自分で自分を蔑んでいる状態で人から認められても、自分で認めてなかったら、「いや、でもね、、、」ってなるよね。

それに、正解なんてないから、と思えるようになったのも、実は最近のこと。

明らかに間違っていることはだめだけど、自分の意見が正しい、君は間違っている、という否定は必要ない。そんな考え方もあるんだね、私はこう思うけど、あなたはそういう思いなんだね。それもありかもね。

もしかしたら、いつか自分もその思いになるかもしれないし、相手が自分と同じになるかもしれないし、2人ともまた全然違う思いでいつか一致することもあるかもしれない。

だって考えって変わるものだと思うから。

そうやって、白黒つけずに過ごすことが、昔はぜーんぜんできなくて苦しかったなぁ。

まぁ、いいんじゃない?的な、ある意味てきとうになったことで、心に余裕は生まれたし、違う意見も聞き入れられるようになった。


そういう自分が今は好き。


心を鎖でガッチガチに縛られていたけど、その鎖がゆるゆるっと外れて、ぶわっと広がったような、ほぉっと息ができたような、そんな感じ。ぶわっと広がったからいろんな良いものが受け取れた感じ。


いろんなものが受け取れて、いろんな想いを感じられて、ゆたかになるんだなぁ。

と、そういう気がする。

それが、私が思う、「ゆたかさ」


だけどそれぞれ、人によって感じる「ゆたかさ」って違うよね。


そういう人との違いを受け入れることができるのも、「ゆたかさ」だと思うし、できれば、そういう考え方の人がたくさんあふれて、みんなが生きやすい世界になったらいいな、と願いを込めて。

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