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「場面緘黙症」幼稚園で一言も話せなかった私。

私は幼稚園の2年間全く一言も話せないまま幼稚園時代を過ごしていました。

今から60年ほどの前の大人たちは(両親も含む)私のことを精神的に異常があるとは気づけずにただおとなしい子と認識していたようです。

私は幼稚園の時(4歳〜6歳)に家族以外の人と話せない自分が心に欠陥があることをわかっていました。

幼いながらなんとしてでも誰とでも話せるようになってやるぞ!と強い決意をしていました。

幼稚園時代にお友達はいました。しゃべれないことを心配してくれて、話しかけてくれる子、一緒に砂遊びしてくれる子、優しい子たちばかりでした。

お友達の話しかけに首を縦に振ったり横に振ることで意思を伝えていました。

心配している友達の
「どうしてしゃべれないの?」
「いつになったらしゃべれるようになるの?」
こんな問いかけには答えられず申し訳ない気持ちで情けない気持ちでいっぱいでした。

話そうと試みたことは何度もありました。でも声を出すことがこわくてたまらなくてできませんでした。

私は小学校入学をきっかけに声を出すことを強く心に決めました。2月の末に6歳になりました。

4月に小学校に行く最初の日がいちばん大事なんだ!話すぞ!声出すぞ!幼いながら必死でした。

誰も助けてくれる人はいませんでした。

心配してくれる大人たちもいませんでした。

自分で家族以外の人と話せないよくわからない病気を治すしかないんだ!と思っていました。

小学校入学後、話し始めて最初の頃は小さい声しか出せませんでした。声を出すのがこわい気持ちはずっと続きました。

小学生になって私は今までの私のイメージのおとなしい子、弱々しい子、手のかからない子、そんなイメージを一新させてみんなをビックリさせてやるんだという野心もありました。

その頃は子供らしい元気な心もあったわけです。

というわけで、小学校入学して最初の席の隣のパッと見、弱々しい男の子をターゲットにして、意地悪なことを言ったりして嫌な女の子になろうとしたりしました。

でもそんな子は私じゃないと思いすぐにやめました。

小学生の時は、内向的な性格はそのままに話すことは苦手でクラスの中では存在感のない見立たない人となりました。

授業中は手を上げて発言できたし、勉強は好きで真面目にやれたし、学級会の時は書記に推薦させられたりしていました。

あれからずいぶんと時は流れ、中学生、高校生、大学、社会人となってからも精神的に不安定でいつも自殺と隣り合わせの生活をしていました。

そして25歳で人並みに結婚をし、人並みに27歳で男の子を出産、30歳で女の子を出産して、人並みの30代〜40代の子育を過ごし、私以外の人からは私はのほほんと何不自由のない普通の女性の生活をしているように見えていたと思います。

子育てに無我夢中の時は、何度か過呼吸になることはありましたが、子どもたちのおかげで精神的に安定している時期だったと思います。

幼稚園時代に場面緘黙症になり、小学校入学とともに、自分自身で場面緘黙症を治した私ですが結局あれから60年も経っているにもかかわらず、やっぱり精神的に不安定なままです。

人間として成熟した大人の60代の女性ではないと思いますが小さな幸せが身の回りにたくさんあることに感謝する日々で今の自分に満足できています。

私は子供の頃、ただおとなしい子だと思われ自分でもただおとなしい子だと思っているだけで場面緘黙症という言葉があることさえ最近知りました。

幼稚園の時、私は場面緘黙症だったんだな。私は6歳で自分で治したんだ。がんばったなって思っているそんな今のわたしです。


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