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なぜ私が「夫奴隷解放宣言!」をしようと思ったのか②プロフィール

こんにちは「夫奴隷解放宣言!」の〈とも〉です。

私は、20年間旦那に「おまえはダメ人間だ!」と言われて
自分でも「私はダメな人間だ!」と思い込んでいました。

学歴なし、職歴なし、常識なし
あるのは、双子ではないけど同級生の子供と働かない旦那。

子供が年長さんの時についに旦那が仕事を辞めてきました。
もともと気分によって仕事に行ったり行かなかったりだったけど、
ついに旦那からの収入は0円になってしまったので、
私がパートで生活費を稼がないと生活ができない状態に!!

子供たちが小学校に上がるのに、ランドセルを買ってあげるお金さえない!
近所の方々が見かねて、お古だけどまだキレイなので使ってと
赤と黒のランドセルをあちこちのツテをあたって探してきてくれたり、
小学生になると私服が毎日必要だからと、女の子用と男の用の服をくれたりと、周りに支えられて生活がやっとできている状態。

パート先の社長は昔堅気の方だったので、
主婦を社員にはしない。社員は男がなるもの。の考えだったので、
役職がついて仕事が増えてもパートのまま。
でも、仕事は社員以上を求められ、自分の仕事プラス社員&パート&アルバイトの仕事の段取りを決めて指示出して、点検して、管理を行い。
課長や係長の仕事の配分調整。
とても、8:30~17:00で仕事が終わるわけがなく。
子供が保育園の頃は18時にいったん子供を迎えに行って家に連れて帰り、
ご飯の準備をして「食べて、風呂入って、寝ておいて」と伝えて、また仕事に戻る生活。

その頃、旦那はネットゲーム廃人と化して、
24時間自分が好きな時間に起きてネットゲームしての生活。
3kの狭い家の一部屋をネットゲーム部屋とし、もう一部屋を寝る部屋として独占していたので、私と子供たちは狭いキッチンと居間の一部屋で3人で生活。ご飯食べるのも寝るのも、その部屋ひとつで3人で過ごしていた。

子供が小学生になるとお迎えがなくなったので、
朝のうちに晩御飯まで作って冷蔵庫に入れて「帰ってきたらチンして食べてね」と子供たちにお願いをして、
朝仕事に行って、日付が変わる前に会社から出れたらラッキーと思える程、
仕事漬けの毎日。
基本、立ち仕事なので、座れるのは生き帰りの自転車のサドル。
食事も座って食べることもほとんどなく、
睡魔に負けて、夜中の2時に赤信号で止まって自転車にまたがったまま
寝てしまい、ふと目が覚めて「何回目の赤信号?」と恥ずかしい思いをしたことは数えきれないほど。
教訓は信号で止まると寝てしまってヤバいので、裏道で信号のない道で帰ろう。

本当に体がヤバくなると部長にお願いして
「点滴をうってくるので、2時間ください」と言って
病院で点滴をうっている間に睡眠と栄養をチャージする生活。

その頃は朝一番に行って工場を開けて、その日のみんなの仕事の段取りから始まって、一番最後に工場を閉めて帰る生活。
「あれ?パートなのにおかしいな?」と思いながらも
旦那から『おまえはダメな人間だから、なにもできない』と言われ続けていたので、まだまだ自分はできない人間なのだと思っていました。
できない人間だから、人より仕事に時間がかかってしまい、
工場全体を効率よく運営していくことができないのだと思っていました。

社長が会社を大きくしたいと、今まで2つの工場だったところを
プラス2つ増やし、そして中国にも自社工場を作りました。
仕事内容も新しい人も増え、指示する内容も場所も増えてきて、
ますます家に帰る時間が短くなり、
その頃は子供たちとは朝の少しの時間しか会うことができない状態でした。
旦那は相変わらずネットゲーム廃人でご飯の準備が出来ていないと怒っていました。あまりに私の時間がないので弁当を買って食べてもらうように準備したら、「俺は朝から何も食ってないのに、揚げ物ばかり食べさせるな!」と怒鳴られた時は、もう本当に私の心が死んでいくの感じました。

そんな生活は子供が小学6年生に上がるまで続き、
家庭も仕事も私の体では限界が来ていました。


                             ②おわり


~夫に頼らずに生きる力を手に入れる 夫奴隷解放宣言
           30代女性のための自立支援アドバイザー~


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