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#04|猫と生きる22年

一昨年、我が家の猫が虹の橋を渡った。
キジトラ柄に猫らしくない低音ボイスの可愛い子。
始めて我が家にやってきた初代の猫。
20歳と7ヶ月だった。

2代目は洋猫のような顔立ちにブラックスモークという毛色。
血統書なんてものは無かったから、MIXだったのだろう。
知人を通じて1歳の時に引き取った子だったが、
ひどい持病持ちで初代より早く亡くなってしまった。
どうにも薬が手放せない10年だった。

私が初めて猫と暮らしてから22年目になる。
今の我が家には昨年迎えた元保護猫の3代目がいる。

好奇心をかき集めたような、やんちゃでいたずらっ子で食いしん坊な茶トラの子。
迎えてからまだ1年と経っていないのに、掌に収まっていた猫は
今やふくふくと5kgになってしまった。
先代たちがやらなかったことを平気でやってのける姿に、
亡くした猫の姿を重ねる事はない。

初代を迎えた時は小学生だったこともあり、うろ覚えだが
保健所に関わりがある伯母から譲渡会の紹介された事がきっかけだったと思う。
仔猫というには割と大柄な身体で、たくさんの人に見物されても警戒することなくのんびりとケージに横たわっていた姿を覚えている。
ソファのように、もたれ掛かられていた別猫の気持ちはどうだっただろう。

抱き上げられても車に乗せられても、ただの一度も鳴かないものだから、
家に帰って初めて声を聞いた時になんだか低い声だなというのは感じた。
猫を飼うのが初めてだったせいで、猫らしからぬ声色の持ち主だと気づくのはまだ後の話。

2段ベッドの梯子も器用に登り、私の布団で眠るのがほとんどだった。
私の声にすぐ駆け寄ってきた。
初代の猫の気持ちを一番知っているのは自分だと思って疑わなかった。
私も猫の事を知りたいと勉強をした、猫に関する知識をネットや本で学び続けた。

いつかの占いで、動物に関わる仕事は天職だと言われた。
動物園や水族館は好きだが働きたいとは思わないし、生命を預かる仕事は多分向いていないだろうという気はしていたので話半分に流していた。
猫と関わる仕事なら確かに楽しそうだと思いながら。

初代の猫が10歳になった年は、私は専門学校を卒業する年。
グラフィックデザインを専攻していたが、片田舎にはまだデザインを専門とした職種の採用は殆ど無く、数少ない求人も尽く落ち続けていた。

それでも諦める事はなかった、高校の卒業時に大学に行くほどの学費が出せないと言われ、それなら早く就職したいと思って大学を諦めたのだから、就職することを諦めるわけにいかなかったのだと今は思う。

そうして最後に出会ったのが、今勤めているペット用品のメーカー。
内定が決まったのは卒業式の前日だった。

そんな仕事柄、自宅の猫を自社の広報に使ったりするので
猫達の写真は此処では割愛させていただきます。
とても可愛いのだけど(親馬鹿目線)

初めての仕事に四苦八苦しながらがむしゃらになっていたそんな中、
2代目の猫を先天性の病気からくる発作で亡くした。
東日本大震災の次の日だった。
色々な事が一度に起こり過ぎて、最期の姿をちゃんと覚えられていないのが悔しい。

2代目が早くに亡くなったぶん、初代は長く居てくれたのだと思う。
18歳の時から自宅で皮下点滴をするようになって、食べるものも少なくなって、寝る時間も増えていた。
点滴をし始めると早い、と聞いていたのに結局その状態で2年も一緒にいてくれた。

20年連れ添った猫を亡くして、親も高齢になって、もう猫は飼わないだろうとトイレもフードボウルもベッドも全て手放した。
生命をそばで見守る事は、癒しであり、努力であり、哀しみが伴う。
それにもう一度耐えられるのか私にはわからなかった。

そう思っていたのは私だけだったようで、
初代を亡くして半年後に、生後3ヶ月の小さな雄猫は我が物顔でやってきた。
出勤して帰ってきたら急に小さき生命が居るって、どういうことなのか。

家には新しい猫のトイレが増えた。
つめとぎも準備した、だけど先住猫達がボロボロにした柱に仔猫はかじりついた。
ずっと先住猫達が好きだった場所に新しいベッドが置かれた。
どうしても捨てられなかった3段のゲージは、元の場所に戻ってきた。
床には色々なおもちゃが散らばっている。

3代目はもうすぐ成猫になる。

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