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鶏口となるも牛後となるなかれ

(※この記事は2024年2月「1ヶ月間毎日ブログ書くぞ!」企画の記事です。)

みなさん、こんにちは。
インドネシアでメディア広告事業を経営しています、長谷川と申します。

今週は自分が大切にしている考え方、生き方などについて毎日書いていきたいと思います。今日は中国の故事成語から「鶏口牛後」についてです。


「鶏口牛後」が生まれた背景

まず「鶏口牛後」という言葉、「史記」蘇秦伝というところで登場します。

[「鶏口牛後」の原文
以二有レ尽之地一、而逆二無レ已之求一。此所謂市レ怨結レ禍者也。不レ戦而地已削矣。臣聞、鄙諺曰、寧為二鶏口一、無レ為二牛後一。

尽くる有るの地を以(もっ)て、已(や)む無きの求めを逆(むか)う。これ所謂、怨みを市(か)い禍いを結ぶ者なり。戦わずして地已(すで)に削られん。臣聞く、鄙諺(ひげん)に曰(いわ)く、寧(むし)ろ鶏口(けいこう)と為るとも牛後(ぎゅうご)と為る無(なか)れ、と。

「史記」蘇秦伝より

この言葉が生まれた歴史的背景は、中国の戦国時代に遡ります。

[ 歴史的背景 ]
戦国時代、蘇秦(そしん)は各国をまわって、それぞれの国が同盟すべきだという政策を説いた。韓の国へ行き、宣恵王(せんけいおう)に、韓は強国で、王は賢者なのだから、西の強国秦(しん)に屈従していてはならない。秦は韓に対して、年々土地の割譲を要求するだろうと説いて、さらにこう言った。「限りのある国土で、飽くなき秦の要求に応じていれば、民の恨みを買い、災いの種となることになります。戦わないうちにすでに秦に土地を削り取られてしまうでしょう。聞くところによれば、世間の言い伝えに、『鶏の口になっても、牛の尻にはなるな』と言います。いつまでも秦に従属していては、牛の尻になっているのと同じで、残念ではありませんか。」そこで韓は趙(ちょう)など六国と同盟し、合従(がっしょう)の策に従った。のちに蘇秦は同盟の長になった。

三省堂 WORLD WISE WEBより

秦という巨大な国力の国に対して、ただ屈従するだけではなく立ち向かうために、対抗勢力の中でも一番強い韓の国の王様に対して、「あなたのように強く賢い王が、牛のお尻に成り下がるのですか?あなたこそ鶏の頭として立つべきでしょう!」と焚き付けたという話なのですが、そこから「大きな組織に属して末端で使われる立場になるよりも、小さな組織でもリーダーとなれ」という意味としてこの故事成語が使われる様になりました。

子供ながらに響いた美学

自分がこの故事成語に出会ったのは小学生の時だったと思うのですが、子供ながらに非常に心に響くものがありまして、「この先将来、牛のお尻か鶏のくちばしかという選択に迫られることがあれば、迷わず鶏のくちばしを選ぼう」「その方がカッコイイ」と思ったことを今でも覚えています。

小学生時代からだいぶ時を経て大学生になり、新卒社会人になり、社内起業に手をあげたり、日本で積み上げてきたものを一度白紙にして海外で再挑戦してみたり、と色々その後のキャリアの節目節目でまさに「牛のお尻」か「鶏のくちばし」かを選ぶ機会が何度となくやってくるのですが、基本的にはこの小学生時代に心に残った「鶏口牛後」の精神が自分の意思決定のど真ん中にあると思います。

牛の中でもくちばし、ツノでありたい

と、ここまで「牛のお尻よりも、鶏のくちばしだ!」みたいなことを話しているのですが、少しでも私のキャリアをご存知の人からすると「え?意外と牛好きじゃないの?」というツッコミがあるかもしれません。

たしかに新卒では大企業のソニーに入社し、その後人材大手のパソナグループに転職し、インドネシアでの事業に至っては今や現地の大手メディア財閥の傘下子会社という立ち位置になっています。鶏のくちばしどころか、大きな牛にばかり選んで突入していると思われるかもしれないのですが、自分の中ではそれでも「鶏のくちばし」を意識して動いています。

自分の中での「鶏のくちばし」というのは、ただ単に「小さい組織のトップ」というよりも「少数派のリーダー格」みたいな意味合いで捉えていたかもしれません。その母体組織が大きかろうが小さかろうが、自分自身でイニシアチブをとってある程度コントロール可能な立ち位置でありたいのです。そういう意味では、パソナグループの中でも社内ベンチャーとして起業させていただいて子会社を経営する経験をさせていただいたり、インドネシアでも大手財閥グループ傘下の子会社経営をさせていただいていて、大きな牛の中でのくちばしみたいな表現の方がしっくりくるかもしれません。大きな組織の中でも牛のツノの様に、キラリと鋭く尖った存在であり続けられたら良いなと思います。



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