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返報性の原理とエゴと人生について

はじめに

今回の内容について

こんにちは

今回は、人生の数々の選択の中で人はどのような軸を持っているのか、頑張って言語化してみます。
特に返報性の原理とエゴについて人生という枠で考えてみます。

ちょっと大学の卒論みたいなタイトルですが。(笑)

自己紹介

この記事の自己紹介が最も詳しく書いた記憶があるので、気になる方は新しいタブで開いてみてみてください。

内容

人生の選択について

私たち人間は、今日も今も"選択"の積み重ねによって人生を歩んでいます。
では、その選択はどのような軸で判断しているのでしょうか?

例えば、朝起きて布団から出るか出ないかの選択・朝ごはん食べるか食べないかの選択・朝ごはん何を食べるのかという選択・どんな服を着るのかという選択。
もっと広い範囲での話でいうと、どの大学に行くのか、どの企業に入るのか、はたまた起業するのか、結婚相手はどうするの?とか。

人生を変える大きな選択にも何かしらの軸があると思います。

その軸の正体とはなんなのでしょうか。

私が思うに選択の軸とは、タイトルにもある「エゴ」だと思っています。

一般的なエゴの定義は以下の通りです。

認識、意欲、行動などの主体として、他と区別される自分。自己。自我。

精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について

つまり、自分はこうしたい!自分はこんな人間だ!ということです。

一般的にはエゴを押し出すことは自分勝手でわがままで良くない。と言われがちだと思います。

しかし、私はその指摘に対して懐疑的です。

なぜなら、人生の全ての選択はその人のエゴであると思うからです。

全ての選択はエゴである

では、具体例を挙げてみましょう。

例えば、ボランティア。
ボランティアとは一般的に利他的で世のため人のために。という風習があると思いますが、この人を助けたい!とか世の中のためにこの活動をしたい!とか、どう考えてもその人のエゴなわけです。

※先に言っておきますが、今回はエゴを否定しているわけではなく選択の全てはエゴから来てるよねっていうことを書いているだけです。偽善だ!とか言ってるわけではないので誤解なきように。

なので、エゴとは一概に利己的とは言えないでしょう。

その上で他の具体例で言うと、「親は子への無償の愛があるの!」と言う主張があります。
私は親になったことはないですし、実際に利他的な親からの無償の愛があること自体は否定しません。

しかし、変な言い方をすると、親が子を産むのも親のエゴだと思うんですよね。(色々事情がある場合もありますが。)

その点、何か頑張りたい!有名人になりたい!お金持ちになりたい!と言うエゴに対しては世間は冷たく、出る杭が打たれるような世界になってしまっているのがすごく悲しいなと。

先ほどの二つの具体例だとエゴの先に「利他的な何か」があることが割とわかりやすく見えていますよね。

対して出る杭が打たれるようなエゴは、エゴの先に「利己的な何か」が見えてしまう。

ただ、私からするとどちらも帰着点は同じく「自分」なのでは?と思ってしまいます。

ボランティアに関しても「この人のために何かしたらこの人が救われて自分も幸せになる」と言う利己的な見方もできて、子育てに関しても「この子が幸せになること=私の幸せ」と言う利己的な帰着もできるわけです。

結局私が言いたいのは、ボランティアでも子育てでも、何か目標に向かって歩むことも有名になることも、全て自分のエゴによる判断で、そのエゴは決して悪いものではないということです。

返報性の原理について

では、エゴが決して悪くない無いという前提をあわせた上で返報性の原理について話していきたいと思います。

返報性の原理とは「何かしてもらったのだから、何かしてあげないと」という心理的効果のことです。

例えば、「A子ちゃんに誕生日プレゼントもらったからA子ちゃんの誕生日にも何かあげなきゃ」とか、「B君にこれだけ助けてもらったんだから何かしてあげなきゃ」とか。
つまり中世(鎌倉時代ら辺)の「御恩と奉公」的なやつです。

先ほどのエゴの話にもかなり密接に関わってくる部分がありまして、、。

例えば、先ほどのボランティアの例で帰着するのは利己的という話をしたと思います。

「この人のために何かしたらこの人が救われて自分も幸せになる」

この例で行くと、「人にいいことすることが結局自分に返ってくるよね。」というのが直接的要因でなくても概念的に起こっています。
(助けた人が自分に直接お返しをするのではなく、概念として返してくれるということ!)

表現が難しい…。

つまり、一見利他的な事柄でも返報性の原理によって自分に帰着する。だから、結局は「自分のため」とも受け取ることができます。

となると、ボランティアでも自己実現をしたい人でも目指すベクトルは自分に向いていて、結局はエゴが選択の軸になっていると思うのです。

結局何が言いたいの?

そろそろブチギレそうな人もいるかと思いますが、私が伝えたいことは『エゴは決して悪いものではないから、もっと主張しようや!』ということです。

考え方に間違っているも正しいもないし、エゴは悪いことではないし、自分が思っていることを自分が思っているように主張していくのも良いのではないか。ということが言いたいがために長々しく回りくどく書いてきました。

近年、自分の夢が語れない、将来が不安、という声をよく聞きます。

それはかなり問題だなと。

昔は夢があった人も、周りによって地獄への道が善意で舗装され、いつの間にか見えなくなってしまう。

私も2年前までは全く自分の夢も将来も想像つかず、考えたくもないぐらい不安な時もありました。

ですが、今ではあらゆるバイアスから解放され、自分で道を描けるようになって、将来が楽しみになってきました。

「夢を持たなければならない」とまでは言いません。

ただ、見えてない夢を言語化し、もっと未来に希望を与えたいのです。

これが今回最も伝えたかった内容です。

まとめ

ここまで読んでいただいありがとうございました。

皆さんの主張を、待っています。

ぜひXやnoteのコメントで皆さんの夢を語っていただきたいです!

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