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坂本龍一先生(日本未来の党結党者の一人)が逝去

 立憲民主党の前身の一つである、日本未来の党の結党者の一人がまた亡くなられた。

坂本龍一さん死去 福島原発告訴団長の武藤さん「どんなに心強かったか」

2023年4月3日 6:00

 坂本龍一さんは東京電力福島第1原発事故後、脱原発に向けた活動にも精力的に取り組んだ。呼びかけ人の一人として2012年7月に東京・代々木公園で開いた集会には約17万人が集まった。

 集会に参加した福島原発告訴団長の武藤類子さん(69)=福島県三春町=は、YMOの大ファンだった。坂本さんについて、河北新報社の取材に「どんなに心強かったか。自分の信念を貫く人で、福島県民として、一ファンとして尊敬していた」と振り返った。

 坂本さんと共に呼びかけ人を務めたノーベル文学賞作家の大江健三郎さんも先月3日に亡くなった。相次ぐ訃報に、武藤さんは「本当にさみしい」と声を落とした。

河北新報

 日本未来の党の結党宣言である「びわこ宣言」の賛同者5人の内、菅原文太先生と稲盛和夫先生は既に逝去され、これで過半数の方が亡くなられたことになる。
 日本未来の党は平成24年(西暦2012年、皇暦2672年)に結成された、自民党でも民主党でもない「第三極」勢力の政党の一つである。
 実際には、非自民非共産でありながら民主党や維新の会からも排除された人たちが多く結集していた。小沢一郎先生たちを排除した当時の民主党執行部の責任は重い。
 しかし、日本未来の党もその後は幾度かの党名変更を経て自由党となり、過去の恩讐を超えて旧国民民主党に合流、そして今では立憲民主党が結成された。
 そもそも日本未来の党を結党した人たちは、民主党が憎かった訳ではない。民主党が国民の期待を裏切ったからこそ、日本未来の党が結成されたのである。
 今では当時の民主党の人たちも反省して、仲間を排除する愚を犯さなくなったようであるから、今度こそ政権交代を実現したいものだ。

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