浅間大社1

【スピリチュアル】木花咲耶姫はアーイシャであり女鳥王である

 最近、スピリチュアル界隈では瀬織津姫がよく話題に上っており、私もブログで瀬織津姫について若干書いたことはあるのですが、情報が錯乱している中で正しいことを伝えるのは難しいものです。

 さて、そんな中で「超美人」として昔から有名な――「神」は「人」ではないけれど――木花咲耶姫(コノハナノサクヤヒメ)についても、やはりスピ界隈では人気ではありますが、こちらについては基礎的な事実(神話の内容)についても混乱が見られ、その上で皆様が霊感でああだこうだ言うと混乱は広がるばかり。

 実は、私も木花咲耶姫と若干縁があります。今回は木花咲耶姫についてのことを書かせていただきます。

注意:今回の記事を含めスピリチュアル系の私の記事は(私に限らず、スピリチュアリズムは概して個人的なものであり)あくまで私個人の感覚・体験・仮説を記したものであって、科学的検証に耐えうることを想定したものではないことは無論のこと、私の所属する宗教・政治・学術・研究団体等とは一切関係ありません。ご了承ください。

(ちなみに、冒頭の写真は木花咲耶姫を祭祀する浅間大社の池の写真です。綺麗だったから撮影したのですが、伝わるかな?)

木花咲耶姫は皇室のご先祖様

 木花咲耶姫というのは、名前から大体わかると思いますが「花の妖精」みたいな神様です。お父さんは大山祇命(大山津見神、オオヤマツミ)で、こちらは山の神様。お姉さんは石長比売で、こちらは岩の神様です。

 さて、時代は上代。皇室のご先祖様である瓊瓊杵尊(邇邇芸命、ニニギノミコト)が天孫降臨で九州に来た後、お嫁さん探しが始まります。

 瓊瓊杵尊は九州に来たばかりの頃は赤ちゃんだったそうですから、大きくなって十代後半になったぐらいの頃でしょう。笠沙(かささ)の御前(みさき)というところで「麗しき美人」に会います。(『古事記』より)

 この笠沙というのは、福岡市の今宿に「笠掛(かささ)」という地名があるのでその当たりだと思われますが、そこで出会った超美人というのが、木花咲耶姫だったのです。早速、瓊瓊杵尊が求婚すると「お父さんに相談します」という返事。

 そして、父親の大山津見神は喜んで「姉の石長比売と一緒に、嫁入りさせましょう」と言います。

 が、お姉さんの方の石長比売は「甚凶醜き」と『古事記』に記されているような容姿でして、それを見た瓊瓊杵尊は石長比売を「返し送り」ます。

 すると大山津見神、「石長比売を側においておけば岩のように永遠の命を得られたのに、木花咲耶姫だけと結ばれたのでは、木の花のように儚い寿命になるでしょう。」と言います。そして、その通り天照大御神の子孫であるはずの皇室の人達にも寿命があるようになったというのが『古事記』の話です。

不倫を疑われて炎の中で出産

 さて、瓊瓊杵尊は忙しかったのでしょう。奥さんの木花咲耶姫と交わったのは一晩だけでした。そんな中、木花咲耶姫から実は妊娠しており「今産む時に臨(な)りぬ。」と言われます。

 自分は一晩しか妻と交わっていない、おまけに妻は超美人である、当然、寄ってくる男性はうじゃうじゃいる。そうなってくると、瓊瓊杵尊は奥さんの貞操を信じることができなくなります。

 と言う訳で、瓊瓊杵尊は臨月の奥さんに対して、冷たく一言。

「これ我が子には非じ。」

 そして「地元の男の子供を妊娠しているんだろ!」と言います。

 一方、不倫などしていない木花咲耶姫。身の潔白を証明するために、こう言います。

「それならば、私は炎の中で子供を産んでやる!もしも私の子供が天照大御神様の孫である貴方の子供ならば、無事に生まれるはずです。」

 そう言うなり、戸口のない産屋を作ってその中に入り、その中で火をつけて出産しました。

 すると、炎の中なのに元気な男の子が三人も無事に産まれます。その時に産まれた三人兄弟の末っ子が今の皇室のご先祖様である山幸彦です。

 今の時代だとDNA鑑定があるのでこんな危険な方法で身の潔白をする必要性は皆無ですが、このことによって木花咲耶姫の評価が高まります。どういうことかというと、

「炎の中でも子供を生めるとは!さすがは木花咲耶姫、安産の神様だ!

ということで、自然流産率も高かった古代(現代でも流産率は一割を超えています)、木花咲耶姫は安産の神様として崇敬を集めることになったのです。

なぜ富士山で木花咲耶姫が祀られているのか

 この話だけを見ると木花咲耶姫は完璧、九州の方なのですが、何故か富士山近辺でよく祀られています。有名なところだと、浅間大社があります。

浅間大社2

 私もインドから帰国した直後、浅間大社を参拝しました。後述するように、木花咲耶姫は私とも縁のある神様だからです。

 本題に入る前に少し、導入話として木花咲耶姫と富士山の関係について触れておきましょう。

 木花咲耶姫は富士山を神格化した神とも言われています。ですが、これは少し不思議なことなのです。

 というのも、『古事記』『日本書紀』には富士山のことが一切残っていません。同時期に編纂された『常陸国風土記』では富士の神様はむしろ悪役です。富士山が登場するのは『日本霊異記』や『竹取物語』の辺りからですが、そこにも「木花咲耶姫=富士山」という記述はありません。

 これは当時に富士山への信仰が無かったというよりも、富士信仰の話が意図的に大和朝廷の記録から削除された結果である、と見做した方が適当でしょう。

 ここからはスピリチュアルな話になりますが、「富士山=浅間大社」は古来より霊的な重要な場所として扱われています。

 浅間大社は神社の中で最高の格式である「名神大社」になっていましたし、役小角や行基菩薩が富士山を参詣したという記録もあります。何よりも、日蓮聖人が富士山を聖地としていたことも重要です。

 日蓮聖人はモンゴル帝国が侵略してきた際には富士山に『法華経』を埋納しましたし、木花咲耶姫のことを「富士千眼(せんげん)菩薩」と呼んでいました。(「せんげん」は「浅間」の音読み。)

 これは富士山、そしてその化身である木花咲耶姫に『法華経』を奉納することで日本を守ることができる、と考えていたからでしょう。そのため、日蓮聖人の弟子の一人である日興上人は富士山を拠点に活動したのです。

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