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J・K・ローリングさん(ハリーポッターの原作者)の主張のどこが「トランス差別」なのか?――「何でも差別」扱いで糾弾する社会の異常さ

 ハリーポッターの原作者として著名なJ・K・ローリング女史が「一部の」フェミニストによって「差別主義者」だと、激しい非難に晒されています。

 しかし、本当にローリング女史は「差別主義者」なのでしょうか?検証してみましょう。

「肉体女性」の権利を守れ!という至極当然の主張

 発端となったのは、ローリング女史の次のツイート。

 前半部分はこういう意味になります。

「生理のある人」かつてそうした人々を指す言葉が確かにあったはず。誰か教えて!(その言葉は)Wumben? Wimpund? Woomud?

 イギリス人文豪らしい、皮肉に満ちた文章です。

 言うまでもなく「生理のある人」と言うのは、文字通り月経が来ている人という意味ではなく――ローリング女史の年齢からそれは明白です――「女性の肉体を持っている人」という、比喩的表現です。

 ローリング女史は「女性の肉体を持っている人」=「Woman(女性)」とされない、昨今の風潮に警鐘を鳴らしています。

 いうまでもないことですが、「心の性別」と「体の性別」が異なる人も、います。しかし、だからと言って「心の性別」だけを重視して「体の性別」を無視してもよい、と言う理由にはなるでしょうか?

 ローリング女史はこれまでも女子トイレや女子更衣室をトランス女性(肉体男性)が使用することに対し、反対の立場を取っていました。

 私はそれが「差別」だとは、思いません。

 トイレや更衣室と言うのは、単なる排泄や着替えの場所ではありません。いや、それが主目的なのは確かですが、それには「精神的に安心できるスペースの確保」が不可欠です。

 銭湯で「刺青のある方は、お断り」という文言を見て「差別だ!」と言う方がいますが、そういう銭湯は刺青を見ると恐怖心から安心して入浴できない客への配慮をしているだけですから、私はそれが直ちに差別だとは考えません。(無論、それを「差別に利用する」人もいますが、何度も言いますがそれは「差別に利用する側」が悪いのであって「差別に(意に反して)利用された側」には、何の罪もないことは明白です。)

 刺青ですら現に不安になる方がいるのですから、ましてや性器、それも肉体女性からすると妊娠や性病と言った、肉体男性と比べて著しいリスクを物理的に与えることが可能な存在をもった人が同じ空間にいたら、安心して華を摘むことも出来ない、と言うのは至極当然の主張です。

 自分たちの「安心」を求めること自体は、差別でも何でもありません。

ローリング女史への異常な嫌がらせ行為

 しかし、ローリング女史への嫌がらせは後を絶ちません。

 ローリング女史は次のように述べています。

私が研究と学習をしている間ずっと、トランス活動家からの非難と脅迫が私のTwitterタイムラインで泡立っています。これは当初、(私が行った)「いいね」によって引き起こされました。

 日本でもローリング女史を非難する人はいます。

 この諏訪崎龍氏は「ラベルX」の副代表であり、その活動自体はアセクシャルの方にも配慮をされているなど、素晴らしいものだと思います。

 しかしながら、ローリング女史の性犯罪被害告白を「ポジショントークでしか語れない、自己の幸せのために他人を犠牲にすることに何の呵責も感じない」ということについては、全く同意できません。むしろ、これはセカンドレイプにも等しい暴言だと私は考えます。

 無論、このような異常なローリング女史糾弾の風潮に違和感を示す人も、少なからずいます。

 しかし、中々このような正論は広まっていないのが、現状です。

「フェミニズム」を名乗りながら援助交際願望者と組むNGOも

 そもそも、フェミニストを名乗る人の多くは本気で「女性の権利」を考えているのでしょうか?

 トランス女性の権利を唱えるフェミニズム団体の一つとして、アジアの女性・フェミニストの連帯を訴える「アジア女性資料センター」と言うのがあります。

 その団体には、尾崎日菜子という「トランス女性」(肉体男性)が寄稿しています。

 が、この人はかつて援助交際願望をツイートしていて問題になった人です。

 しかも、炎上するとこの方、次のように言い訳にならない釈明をしています。

 これ、どう読んでも「金がある=女子高生と援助交際が出来る」という認識が大前提にあることは明白です。

 そのような認識自体が女性差別であるとは考えずに、トランス女性としての権利を主張する、そのような人間がフェミニズム運動に参加している以上、少なくとも一部のフェミニズム運動は女性の権利を守ることが本音ではないと言わざるを得ないでしょう。

 ちなみに、この団体では「慰安婦」問題でも左翼的な立場に立って活動しています。女性の権利を守ることではなく、特定の政治的主張の実現が本音なのでしょう。

どういう場合だと「不当な差別」に当たるのか?

 さて、上記への反論も予想されますから、以下、やや社会科学的な議論をします。

 社会科学においては、言葉の定義が重要になってくることがあります。特に「差別」という言葉は言語や分野によってニュアンスが異なりますので、注意が必要です。

 「差別がいけない」と言う場合の“差別”は「不当な差別」を指すことは、文脈から明白ですので今回はそのことを前提に文章を書きます。

 近代社会においては「人間同士の平等」が大きなテーマとなっています。人間が平等でないならば「一人一票」の普通選挙など、成立できないのでここでいう「不当な差別」は「人間の平等権を侵害する行為」であると定義しても問題ないでしょう。

 かつて、結婚式で「子供が産めるならば、三人以上子供を産んでください」と発言した政治家が「差別主義」として非難されました。しかし、それが本当に「差別」なのか、は疑問です。

 もしも、これがこういう発言であるならば、差別でしょう。

子供が産める女性は、全員三人以上子供を産んでください。

 女性だからと言って妊娠する義務はありません。それは男性だからと言って力仕事をする義務が無いのと、一緒です。

 しかし、例えば「孫の顔が見たい」親が娘や息子の嫁にこういうのは、果たして差別でしょうか?

私は孫の顔が見たいから、貴女は不妊症ではないようだし、早く子供を産んで孫の顔を見せてほしい。

 これは、自分の個人的な願望を語っているだけであって差別ではありません。

 繰り返しますが、全ての女性を対象に「子供を三人以上産んでください」というのと、知り合いの夫婦に「子供を三人以上産んでください」と言うのとでは、全く意味合いが異なるのです。

 少し状況を変えてみましょう。

全ての健康な若い男は軍隊に入るべきだ!

 これは徴兵制を正当化する理屈であり、危険な考えであると言えます。しかし、これだとどうでしょうか?

君は愛国心が大事だと日頃から言っているが、それならば軍隊に入ってそれを示すべきだろ。

 私はこんなことを言われると腹が立ちますが、かと言ってこの言葉自体は徴兵制を肯定しているものではないということは判りますよね?

 このように、述語が「特定の属性の人、全体」か「個人」か、でそれが「特定の属性の人に対する、不当な差別」なのかは、変わります。

弱者への保護を求めるのは「不当な差別」ではない

 さて、今回のローリング女史の発言は「肉体女性の保護」を求めるものです。弱者が特別な保護を求めるのは、「不当な差別」ではありません。

 例えば、インドではカースト制度の外部において激しい差別に晒されている旧不可触民階級(ダリット)が存在します。そして、ダリットに対しては就職や入学において数々の優遇措置が取られています。

 上位カーストの中にはこれを「逆差別」と言う方がいますが、これは「不当な差別」では、ありません。

 ダリットは現在進行形で激しい差別に晒されており、且つ、インドではカーストによって文化が異なるという特徴もあります。そのような文化は差別に結びついているため、教育や社会生活において半強制的に差異を除去するような措置はダリットと言う社会的弱者を保護する上で必要です。

 さて、「肉体女性」は「肉体男性」に対して弱者です。

 念のために言うと、これらは腕力や体力のことを言っている訳では、ありません。

 何故かはわかりませんが、高校時代の体力テストでは私はいつもほとんどの女子に負けていたので、体力の性差は実際にはそれほど大きくは無いのだと思います。(傾向としてはあるでしょうが。)

 ただ、一方では次のような差異点もあります。(以下の女性は「トランス女性」ではなく「肉体女性」のことです。)

1・女性は妊娠をし、その際には体に著しい負担がかかります。
2・男性ホルモンは男女ともに分泌されますが、女性は女性ホルモンによって男性ホルモンの働きの一部が疎外されます。男性ホルモンの働きの中には外敵への攻撃も含まれます。
3・女性は月経により体への負担もあります。

 このような肉体的形質から、保護が必要な場合は当然あるのです。それを否定する人は、フェミニストを名乗っていようが「女性の権利」を一ミリも考えておらず、単に「女性の権利」を利用して自身の政治的な要求を実現させようとしている左翼活動家であることは、明白です。

ここまでお読みくださり、本当にありがとうございます。 拙い記事ではありますが、宜しければサポートをよろしくお願いします。 いただいたサポートは「日本SRGM連盟」「日本アニマルライツ連盟」の運営や「生命尊重の社会実現」のための活動費とさせていただきます。