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「収穫益の3割」課税の地租改正が「四公六民」と同じ税負担だったカラクリ

「明治政府は地租改正をしましたが、江戸時代の年貢と税収が変わらない様に地価を操作したので、農民の負担は減りませんでした」
 多くの方は、学校教育でそう習ってきたはずです。
 私もつい最近までそう思っていたのですが、不思議なことがありました。
 地租改正では、地租は地価の3%です。
 この3%という数字は律令国家の祖をモデルにしているのでしょうが、律令国家では収穫高の3%だったのに対して、地租は収穫益(収穫高―必要経費)を10倍した地価の3%だった、という違いがあります。
 収穫の必要経費は一律15%で計算されたので、実際には地租は収穫高の34%でした。
 律令国家と比べるとあまりにも高い税率です。明治維新というのは「律令国家に帰ろう!」という運動でもありましたから、地租改正反対運動には明治維新を推進した人たちも参加しました。
 一部に誤解している人もいますが、自由民権運動を推進したのと明治維新を推進したのとは同じ層です。板垣退助も明治維新に参加していましたからね。
 自由民権運動が右翼の源流であることは常識なのですが、何故か左翼の源流と勘違いしている人がいますね。
 さて、話を戻すと確かに遥か昔の律令国家と比べると高い税率なのですが、江戸時代と比べたらどうなのでしょうか?
 これまで江戸時代は「四公六民」だと習ってきましたが、それと比べると少ないはずです。
 もちろん、江戸時代は藩によって税率が違うと言う事情もありましたが、それでも平均すると江戸時代よりも税率は安くなっていないか?という疑問を抱いてしまいます。
 そこで私は少し調べて見ました。
 答えは簡単にわかりました。
 江戸時代の「四公六民」というのは、実はかなり語弊のある言葉だったのです!
 どういうことかと言うと、確かに税率は収穫高の40%ぐらいである藩もありましたが、実はこれ、実効税率では無かったのです。
 収穫が少なければ減税していたし、そもそも当時の領主が全ての田の取れ高を調べていた訳でもなかったようなのです。
 実は江戸時代には全国一律に検地が行われたことは無く、検地は藩毎に行われていましたが、それも頻度が多い訳ではなかった模様。
 というのも、あまり厳しく検地をやり過ぎると百姓が協力してくれなくなるからです。
 そういう訳で、表向きの税率が40%の藩でも実効税率が34%程度、ということは大して珍しくも無かったのだとか。
 それに対して今の我が国では捕捉率が特にサラリーマンは極めて高く、おまけに表向きの所得税だけでなく、10%の住民税や18.3%の社会保険料も給料から天引きされる訳ですから、実効税率は直接税だけでも地租を超えています。
「江戸時代の税負担は重かった!明治維新でも変わらなかった!」
と学校教育で教えているのは
「今の方が遥かに税負担は重い」
という事実から国民の目を逸らすための洗脳かもしれませんね。(笑)


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