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職業差別は“絶対悪”なの?国民民主党「ラウンジ嬢公認取り消し」騒動への疑問

 「職に貴賤はない」と真顔で、何の躊躇もなく言える人間は、余程素晴らしい仕事をしている人間なのだろう。そうでなければ、かなり増上慢な人間だ。
 この話題で思い出すことがある。
 昨年夏のある日、私は仕事を終えて職場の最寄り駅――実際には最寄りでもないが、歩いていける距離の駅――に行った。
 すると、駅で掃除をしているおじさんが、自分の前を通る一人一人に笑顔で挨拶をしていた。
 私も挨拶を返したが、笑顔であった記憶はない。
 確実に言えることは、未熟なサラリーマンの私よりも、現に多くの人の役に立っている掃除のおじさんの方が、より「貴い仕事」をしていることは言うまでもないと言うことだ。
 人に貴賤はないが、職に貴賤は、確実にあるのである。
 言うまでもなく、世のため、人のために働いている人の方が、貴い仕事に決まっている。私も世のため、人のために働いているつもりではあるが、まだまだ未熟ものであるため、他の多くの労働者と比べたら、全く貴さの欠片もない。
 このことを無視して「職業差別反対!」と叫ぶ人間は、自分以上に「世のため、人のため」に働いている人がいることを、まず知るべきだ。
 そのことを前提に、この度読んだ同年代の論客であるきょんきょん氏の記事に少し疑問点を抱いた。

 まず、始めに言っておく。
 私にはきょんきょん氏を人格攻撃する気は、一ミリも無いし、むしろ彼には心から感謝、尊敬しているということである。
 かつて私が立憲ユースの副代表を解任された際、きょんきょん氏は次のツイートをしてくださった。

 立憲ユース副代表解任騒動の時、私に対しては様々なデマが流された。
 中には私が統一教会信者であるとか民社協会系だというデマや、私が生長の家信者なのに立憲民主党なのはオカシイとかいう意味不明な批判もあった。
 生長の家は反自民・反日本会議であるから、生長の家信徒の私が立憲民主党にいるのは全く可笑しくないし、民社協会は立憲民主党の党員を全員除名しているのであるから私が民社協会系のはずがないことは言うまでもない(そもそも私は小沢一郎先生の支持者であると公言している、つまり民社協会系ではなく旧自由党系である)。
 この時、私へのネットリンチを批判した数少ない方が、きょんきょん氏である。
 人間、一番つらい時に受けた恩は絶対に忘れない生き物だ。
 また時流に迎合しないきょんきょん氏の姿勢は心より尊敬している。
 その上で、きょんきょん氏のブログの次の内容に少し疑問符がついた。

まず第一に、国民民主党の代表である玉木氏が職業差別的観念を否定しなかったことである。「ラウンジ嬢として働いていたことのみが立候補断念を要求した原因ではない」という弁明は、言い換えれば「ラウンジ嬢として働いていたこと立候補断念を求めた一因である」ということになる。これは職業差別的な発言であり、公党の党首としての資質に疑義を持たれても仕方がない態度といえる。

 私は民族差別や部落差別、女性差別、SRGM差別等とは異なり、職業差別や学歴差別はいわゆる「正当な区別」との判別が困難であり、アプリオリに「不当な差別」とは断言できないのではないか?と考えている。
 むしろ、昨今の職業差別批判は女性差別や種差別(動物差別)から目を逸らさせる武器としか機能していないのではないか、とさえ思っている。
 例えば、風俗やAVは存在自体が女性差別である。このことに多くの方は異論が無いであろうが、極稀に性の解放論者という輩は「売買春も自由だ!」等と主張している。
 中には「女性用風俗や女性用AVもある!」という批判をする人もいるが、男性への逆差別をしているから女性差別も無問題だというのは無茶苦茶な論理である。
 売買春の何が問題かは色々理屈を挟まなくても誰でも本能的にわかるはずであるが、理屈で言わないと理解できないアホ(私もその一人だが)のために超簡単に説明しよう。
 医療・介護等において人間の排泄物を扱うことはあるが、その場合でも排泄物に素手で触れないようにすることが求められる。医療関係者でもない無資格者が直接、不特定多数の排泄物や粘膜に触れるのが異常であること、言うまでもない。
 従って、売買春や風俗はすべて廃止されるべきであるし、仮に元風俗嬢が「風俗の仕事を肯定した上で」選挙に立候補したら、大問題であることは、言うまでもない。
 なお「風俗には性犯罪の防波堤の役割もある」という人もいるが、風俗に行かないと性犯罪を犯すような性犯罪者予備群は全員去勢するのが世のため、人のためである。
 仮に風俗店の顧客を全員去勢する職業があれば、それはまさに多くの人を性暴力から救う「貴い」仕事であると言えよう。職に貴賤はあるのだ。
 さて、言うまでもなくラウンジ嬢は風俗嬢とは異なる。
 ただ、ラウンジ嬢やキャバ嬢というのは(最近急速に広まっているパパ活嬢もそうだが)、女性差別的な構造を利用して収益をしている仕事である。
 つまり、男女平等が達成されたらなくなる仕事であり、キャバ嬢やラウンジ嬢が男女平等を言うのは利益相反である。
 もちろん、そうではないという思想の人もいるだろう。
 しかし、重要なことは政党というのはある程度の思想の自由が認められる半面、ある程度の最大公約数的な価値観の共有も求められるということだ。
 このあたり、風俗肯定派が出てくるのは完璧アウトだと思うが、ラウンジ嬢やキャバ嬢であると「閾値」になるのではないか。
 私は「公党の党首としての資質に疑義を持たれても仕方がない」とまでは思わないのである。
 仮にラウンジ嬢という仕事が貴い仕事だと思っている人は、国民民主党に投票しなければ良いだけの話で、それは「公党の党首」全員に押し付けるべき見解ではないであろう。

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