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打算も分別もない かつての日本人にワタシハナリタイ
カネ、モノ、ヒトからの承認
それらを満たすための競争社会
人の血は見えずとも、
目に見えぬものを互いに傷つけあっている人々
どこからともなく怒鳴られたり、蹴られたり、時には刺し殺されたり、、
何とも物騒で緊迫した世の中ですよね。
こんな世の中になってしまう50年以上前から日本がこうなることを予期し、
激しく警鐘を鳴らしていた世界的 数学者
岡 潔さんの考えについて述べたいと思います。
岡 潔さんの著書
『春宵十話』ではこのように語られています。
宮沢賢治に「サウイフモノニワタシハナリタイ」というのがあるが、このくにの人たちは社会の下積みになることを少しも意としないのである。
つとめてそうしているのではなく、そういうものには全く無関心だから、自然にそうなるのである。
つまり
今の世の人のように社会的地位を気にしたりせず、社会の歯車になることを損得勘定なしに行っていた
ということではないでしょうか。
そして
岡 潔さんは、こういった
「少しも打算、分別もはいらない行為のさいに働いているもの」を"純粋直感"と表しました。
近い例としては
電車の席に座っていたら、老人が乗ってきて、その時に頭で考えるより先に、身体が席を立っていた
というようなものだと僕は思います。
脳が働いていないというわけではないのだけれど、欲求を働かせる機能よりも感覚を働かせる機能が優先的に動く。
それが、自然と起こる感覚(純粋直感)なのではないでしょうか。
その上で、岡 潔さんは
純粋直感を育てないと人や社会は腐敗する
と述べています。
現に、「失われた30年」なんて言われるほど見事に経済社会が悪化してしまいましたが、
その原因は欲に溺れて腐敗してしまった人々の心のせいでしょう。
30年間が失われる前
この純粋直感が育まれていた頃の日本を賛美していた人物がいます。
構造主義を唱えたことでも大変 有名な
フランスの人類学者 クロード・レヴィ=ストロースさんです。
彼は『月の裏側』でこのように述べています。
日本は自然の富は乏しいが、反対に人間性においては非常に豊かである。
人々は、つねに社会に役立とうとしている感じが伝わる。
その人たちの社会的地位がどれほど慎ましいものであっても、社会全体が必要としている役割を充たそうとする。
それでいて全く寛いだ感じである
まさしく
先ほどの純粋直感のことを言っています。
人類学者であるとはいえ、海外の人の目から見ても明らかなほどに
日本人は打算的でない人たちだったようです。
もちろん、今の日本にもそういった人は一定数います。ですが、誰の目から見ても明らかなくらいに、ごく少数ですよね。
僕を含め、出世に興味がない若者が増えている現代社会ですが、
僕としてはこのまま資本主義に対する疑念を社会全体に浸透させていき、みんなで畑を耕して作物を分け合うような日本的情緒を再興したいと思います。
そんな独り言でした。
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